インダス文明 インダス文明の概要

インダス文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 05:13 UTC 版)

モヘンジョダロ
儀式で使用された陶器
紀元前2600–2450年

これら各国の先史文明でもある(インドの歴史パキスタンの歴史アフガニスタンの歴史も参照)。

崩壊の原因となったという説のあった川の名前にちなんでインダス文明、最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明とも呼ばれる[1]

狭義のインダス文明は、紀元前2600年から紀元前1800年の間を指す。インダス文明の遺跡は、東西1500 km、南北1800 kmに分布し、遺跡の数は約2600におよぶ。

そのうち発掘調査が行われた遺跡は、2010年時点でインド96、パキスタン47、アフガニスタン4の合計147となっている[2]

歴史

初期食料生産期

メヘルガルI期紀元前7000年 - 紀元前5500年)は、土器をともなわない新石器時代である。

この地域での初期の農業は半遊牧民が行ったもので、コムギオオムギを栽培する傍らでヒツジヤギウシを飼っていた。泥製の住居群は4つの区画に分けられている。多数の埋葬跡も見つかっており、副葬品として籠、石器、骨器、ビーズ、腕輪、ペンダントなどがあり、時折動物の生贄も見つかっている。一般に男性の方が副葬品が多い。装飾品としては、貝殻(海のもの)、石灰岩トルコ石ラピスラズリ砂岩、磨いたなどが使われており、女性や動物の原始的な像も見つかっている。海の貝殻や付近では産出しないラピスラズリ(アフガニスタン北東部で産する)が見つかっていることから、それらの地域と交流があったことがわかる。副葬品として石斧が1つ見つかっており、もっと地表に近いところからも石斧がいくつか見つかっている。これらの石斧は南アジアでは最古のものである。

領域形成期(紀元前5500年 - 紀元前2600年)

紀元前3300–2600年時点におけるインダス文明の推定範囲。

メヘルガルII期紀元前5500年 - 紀元前4800年)は、土器をともなう新石器時代である。メヘルガルIII期紀元前4800年 - 紀元前3500年)は、銅器時代後期である。メヘルガルⅣ期紀元前3500年 - 紀元前2600年)で集落が放棄された。

ハラッパーI期(紀元前3300年 - 紀元前2800年、ラーヴィー期[† 1]には、パンジャーブ地方のラーヴィー川英語版河岸でハラッパー文化が、ラージャスターン地方のガッガル・ハークラー川河岸でカーリバンガン文化が、それぞれ始まった。それに続くハラッパーII期(紀元前2800年 - 紀元前2600年)は、シンド地方でコト・ディジ文化が始まった。

統合期(紀元前2600年 - 紀元前1900年)

紀元前2600–1900年時点におけるインダス文明の推定範囲。

狭義のインダス文明はこの統合期を指す。ハラッパーIIIA期(紀元前2600年 - 紀元前2450年)、ハラッパーIIIB期(紀元前2450年 - 紀元前2200年)、ハラッパーIIIC期(紀元前2200年 - 紀元前1900年)の三期に区分される。

滅亡

BMACと他の文化との位置関係
バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)
アンドロノヴォ文化(Andronovo)
Yaz文化英語版(Yaz)
ガンダーラ墓葬文化英語版(Swat)
H墓地文化英語版(Cemetery H)

インダス文明の衰退や滅亡については次のような諸説がある。

砂漠化説
インダス文明が存在した地域は現在砂漠となっている。インダス文明が消えたのは、この砂漠化によるのではないかという説がある。

砂漠化の原因としては、紀元前2000年前後に起こった気候変動があげられている。

大西洋に広がる低気圧帯は、一時北アフリカと同じ緯度まで南下し、さらにアラビアペルシア・インドにまで及んで、雨をもたらし、緑豊かな土地になっていた。

しかしやがてこの低気圧帯は北上し、インドに雨をもたらしていた南西の季節風も東へ移動して、インダス文明の栄えていた土地を現在のような乾燥地帯にしてしまった、という説である。

衰退後の植物相や動物相には大きな変化が見受けられないことから、気候の変動を重視する説は見直されている。

インダス文明が森林を乱伐したために砂漠化が進行したという説もある。

しかし、乾燥化説については、ラクダの骨や乾地性のカタツムリが出土していること、綿の生産が行われていたことなどは、川さえあれば気温の高い乾燥ないし半乾燥地帯で文明が興りえたことを示し、「排水溝」も25ミリの雨がふっただけでももたない構造であり、煉瓦を焼くにも現在遺跡の周辺で茂っている成長の早いタマリスクなどの潅木でも充分間に合ったのではないかという反論があり、決定的な説となってはいない。

河流変化説
紀元前2000年頃に地殻変動が起こり、インダス川の流路が移動したために河川交通に決定的なダメージを与えたのではないかという説。

インダス遺跡はインダス川旧河道のガッカル=ハークラー涸河床沿いに分布している。

気候変動説
気候変動によってインダス文明が衰退したとする説である。

4200年前には、地中海から西アジアにかけて冬モンスーンが弱く乾燥化が起き、メソポタミアではアッカド王国崩壊の一因になったという説がある。

こうしたモンスーン変動がインダス文明の地域にも影響を与えたとされる。

2012年にはアバディーン大学が中心の研究グループが発表し、2013年には京都大学が中心のグループがネパールのララ湖英語版を調査して3900年前から3700年前にかけて夏モンスーンが激化していたことを明らかにした[3]

また、遺跡の数はインダス文明の盛期ハラッパー文化期よりも後期ハラッパー文化期のほうが多く、規模が縮小している。 これらの点から、夏モンスーンの激化がインダス川流域に洪水を起こし、インダス川流域に位置するモヘンジョダロなどの大都市から周辺への移住が起きたとする[4]

また、インダス文明期には、海面が現在よりも2 mほど高かったという調査がある。これにより遺跡の分布を調べると、インダス川流域以外のグジャラートやマクラーン海岸の遺跡の多くが海岸線に近くなる[5]

そこで、海岸線に近いインダス文明の人々は大河によって生活するのではなく、海上交易などを行っていた海洋民であったが、海面低下により生活が変化したとする説も提唱されている。後述のように、インダス文明はメソポタミアやペルシア湾地域と交易を行っていたことが確認されている。

アーリア人侵入説
インダス文明滅亡の原因は古くから論争があり、第二次大戦後にはM.ウィーラー英語版によるアーリア人侵略説をはじめとする外部からの侵略説が唱えられた。

発掘調査によって埋葬もされずに折り重なるおびただしい人骨が確認されたために外部からの侵入による虐殺説が唱えられた。

また、『リグ・ヴェーダ』などの戦争記事がその根拠のひとつとされた。しかし、当時の発掘調査は、層位関係を考えずに地表からの深さのみを記録して行われた調査であったために同時期の人骨ではなかった。

その他、虐殺跡とされた人骨には外傷の形跡がなく、アーリア人の侵入とインダス文明衰退の年代には相違があり、『リグ・ヴェーダ』の記述の史実性にも問題が指摘され、現在では否定されている[6]

日本においても第2次世界大戦前にアーリアン学説を補強する学説が発表された。

この説では、インダス文明は南インドを中心に暮らしているドラヴィダ人の祖先によりつくられたと推定されている[7]。また、ドラヴィダ人は、紀元前13世紀に起きたアーリア人の侵入によって、被支配民族となり[8]先住民族であるドラヴィダ族を滅ぼしてヴァルナという身分制度を作り上げたという説がある。

滅亡後の地方化期(紀元前1900年 - 紀元前1300年)

ヴェーダ期の地理
ガンダーラ墓葬文化英語版(Swat)
H墓地文化英語版(Cemetery H)

ヴェーダ期(紀元前1700年 - 紀元前1100年)になると、以前はハラッパー文化だった都市がH墓地文化英語版となった事を示す墓地が発見されている。この墓地からは火葬の跡が発見されており、この文化からヴェーダの宗教紀元前1000年 - 紀元前500年)が形成されたと考えられている。

ヴェーダの宗教は、後のバラモン教ヒンドゥー教en:Shaivism)の原型である。この文化と同時期に栄えた赭色土器文化英語版は、ラージャスターンからヒンドスタン平野へ進出している。

十王戦争から十六大国まで(紀元前12世紀 - 紀元前6世紀)

発見の経緯

文明の存在が認識されるようになったのは比較的遅く、イギリス支配下の19世紀になってからのことである。

1826年に探検家のチャールズ・マッソン英語版がハラッパーにある周囲約5 kmに及ぶ巨大な廃墟について報告し、「紀元前326年アレクサンドロス3世(大王)を撃退したポルス王の都シャンガラの跡ではないか」と推測している。

1831年にもアレクサンダー・バーンズが調査中同地を訪れ地元の人から廃墟にまつわる「神の怒りによって滅んだ」との伝承を紹介し、本国イギリスで考古学的好奇心を大いに刺激するようになる。

イギリスは既に18世紀にアジア協会を設立しており、インドに赴任していた元軍属のアレクサンダー・カニンガムが同協会の元でインドおよびパキスタンの考古学の基礎を築くことになる。

カニンガムは1853年1856年に最初のインダス遺跡発掘となるハラッパー遺跡の発掘を行い、未知の文字が書かれた印章・土器などが出土した[9]。カニンガムは1862年インド考古局の発足に尽力し初代局長となるが、この頃から鉄道敷設のため遺跡の建材を崩されてしまう課題に取り組まねばならなくなっていた。

その後も第3局長ジョン・マーシャルらによってインダス文明の研究は発展していくこととなる[10]

遺跡

インダス文明諸都市の分布
ドーラビーラ

都市の規模はメソポタミアのものよりも小さく、モヘンジョダロとハラッパーが1 km四方を超える規模をもち、メソポタミアの小都市に匹敵する規模であった。都市には2種類あり、城塞と市街地が一体のタイプ(ロータル、ドーラビーラ)と、城塞と市街地が分離しているタイプ(モヘンジョダロ、ハラッパー、カーリバンガン)とがある。主な遺跡は以下の4地域に集中している。

  1. インダス川流域(ハラッパー 分離型、76ヘクタール:周囲を含む全体推定値150ヘクタール、モヘンジョダロ 分離型、83ヘクタール:周囲を含む全体推定値125 - 200ヘクタール)
  2. ガッガル・パークラー川流域(ラーキーガリー英語版 105ヘクタール:分離型、バナーワリー英語版 16ヘクタール:一体型、カーリバンガン 12.1ヘクタール:分離型)
  3. マクラーン地方(ソトカー・コー英語版 1.5ヘクタール:分離型、ソトカーゲン・ドール英語版 1.95ヘクタール:分離型)
  4. グジャラート地方(北西インド、どの都市も一体型。ロータル 7ヘクタール:沐浴室の列、基壇、ドーラビーラ52ヘクタール:居住地域部分のみ19ヘクタール、スールコータダー英語版 0.72ヘクタール、クンターシー英語版 1.56ヘクタール:穀物貯蔵室、土器・銅の工房、バーバルコート英語版 2.7ヘクタール、ロジュディ英語版 7ヘクタール:大型方形建物、カーンメール英語版 1.25ヘクタール:大型方形建物)

城塞とは周塞に囲まれている集落で、大沐浴場や火の祭壇、さらに「穀物倉」「列柱の間」「学問所」と呼ばれる大型で特殊な構造の建物が一般家屋とは別に建ち並んでいる。「穀物倉」と呼ばれる建物は湿気のある場所に近く、穀物の形跡も発見されていないため、現在では他の用途に使われたと考えられている[11]

インダス文明では、他の古代文明とは異なり王宮や神殿のような建物は存在しない。戦の痕跡や王のような強い権力者のいた痕跡が見つかっていない。周塞の目的としては、何らかの防衛や洪水対策の他に、壁と門を設けて人・物資の出入りを管理する事も考えられる。モヘンジョダロでは市街地の周塞が発見されていない[12]


注釈

  1. ^ ラーヴィー期の名称はラーヴィー川英語版に由来する。

出典

  1. ^ ダブルー 1978, pp. 122–123.
  2. ^ 長田編 2013, pp. 4.
  3. ^ 八木ほか 2013, p. 第4章.
  4. ^ 長田編 2013, p. 終章.
  5. ^ 宮内, 奥野 2013, p. 第3章.
  6. ^ 長田編 2013, p. 13.
  7. ^ 佐原 1943, pp. 432–433.
  8. ^ 神谷 2003.
  9. ^ 近藤 2000, pp. 150–151.
  10. ^ 近藤 2000, pp. 152–153.
  11. ^ 長田編 2013, p. 405.
  12. ^ 小磯 2006, pp. 15–17.
  13. ^ 児玉 2013, p. 第9章.
  14. ^ 小磯 2006, p. 21.
  15. ^ 大田, 森 2013, p. 第11章.
  16. ^ ウェーバー 2013, p. 第7章.
  17. ^ 木村 2013, p. 第8章.
  18. ^ a b c 遠藤 2013, p. 第6章.


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