ぶらじる丸 ぶらじる丸

ぶらじる丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 16:47 UTC 版)

ぶらじる丸

ぶらじる丸
基本情報
船種 貨客船
クラス ぶらじる丸級貨客船
船籍 日本
所有者 大阪商船
運用者 大阪商船
日本移住船
建造所 新三菱重工業神戸造船所
母港 大阪港/大阪府
姉妹船 あるぜんちな丸(2代)
信号符字 JDHB
IMO番号 72247(※船舶番号)
建造期間 257日
就航期間 7297日
経歴
起工 1953年10月27日[69]
進水 1954年4月6日[69]
竣工 1954年7月10日[69]
運航終了 1974年2月[70]
現況 1996年に中国企業に売却され、観光施設として使用
要目
総トン数 10,100トン[69]
排水量 不明
垂線間長 145.0m[69]
型幅 19.60m[69]
型深さ 11.90 m[69]
主機関 新三菱神戸製ズルツァー式10RSD76型ディーゼル機関 1基[69][71]
推進器 1軸[69][71]
定格出力 9,000BHP[69]
最大速力 20.312ノット[69]
航海速力 16.2ノット
航続距離 不明
旅客定員 一等:12名
二等:68名
三等:902名[69]
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建造・設計

第二次世界大戦後、日本の海運業界および造船業界は計画造船によって再建が進められた。他方、大阪商船は1950年(昭和25年)11月にGHQの許可の下に南米航路を貨物船のみで再開しており[72]、2年後の1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ講和条約発効を契機として、南米移民が国策として復活することとなった[73]。南米移民輸送を「歴史的大任」と自認していた大阪商船は、再び移民船を差し立てることを計画し「さんとす丸」(8,280トン)など3隻を就航させるが、「さんとす丸」以下の就航船はもとが貨物船で、貨客船への転換が決まってから特別三等船室を急遽増設したため[74]、貨客船とはいっても船客設備は所詮は「付け足し」であった。大阪商船は計画造船の枠外での建造を希望したが、予算編成上の制約等で1954年(昭和29年)度第9次計画造船の貨物船の枠内で建造することが決定した[75]。これが、二代目の「ぶらじる丸」である[71]

二代目「ぶらじる丸」は新三菱重工業神戸造船所1953年(昭和28年)10月27日に起工し、昭和29年4月6日に進水、7月10日に竣工した。「さんとす丸」に続いて平甲板型の船型を持っていたが、三等客室に充てられた甲板室全体と船首楼は切り離されていた[71]。、最上甲板に一等船室、食堂と喫煙室が配され、上甲板に特別三等船室と食堂、エントランスを配した[71]。また、「さんとす丸」と同様に1948年のSOLAS条約に適合した安全確保の設備も完備していた。機関は新三菱重工業神戸造船所が新たに開発したズルツァー式10RSD76型ディーゼルエンジン(9000BHP)の生産1号機が搭載された[75]

現役時

竣工後まもなく、「ぶらじる丸」はブラジル移住者603名とその他船客293名を乗せて神戸港を出港し、処女航海の途に就く[76]。タイミングよく外務省に移民局が開設されて移民輸送は華やかに復活するはずであったが、不十分な施策ゆえに移民の数は伸び悩み、予定されていた「ぶらじる丸」の姉妹船建造計画は一時棚上げされた[77]。やがて「さんとす丸」の大改装や二代目「あるぜんちな丸」(10,863トン)の竣工で大阪商船の移民船隊は5隻となり、ホノルルへの寄港の開始や往航での工業製品の輸送、復航での鉱物や農産物の輸送で一時的には好調を保ったが、「あるぜんちな丸」就航の翌1959年(昭和34年)以降は、日本において高度経済成長期(第一次)に差し掛かったことや受入国側の状況の変化と、それにともなう移民の数の減少などで移民輸送は衰退の一途をたどる[78]

折からの海運集約との関係もあって運輸省から移住船部門を切り離して新会社を設立するよう催促され、1963年(昭和38年)に日本移住船(現:商船三井客船)が設立され、「ぶらじる丸」を含む5隻の移住船は新会社に移籍した上で、大阪商船の裸用船として南米航路に就航し続けた[79]。しかし、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを経て移民の退潮は一層大きくなって年間1,000名を下回るようになり、「ぶらじる丸」は1965年(昭和40年)8月に三菱神戸造船所で船客定員半減に合わせた改装を行った[75]。また、「あるぜんちな丸」ともども航海回数も年3回と削減された[80]。運航形態そのものもクルーズ客船のはしりのような感じとなって移民から大きく離れていくこととなったが依然として収入は上がらず、親会社の大阪商船三井船舶に用船に出されて船客スペースのみを商船三井客船が販売するという有様であった[81]。やがて、第1回「日中青年友好の船」としての航海を最後に、1973年(昭和48年)9月限りで引退[82]。20年間で南米航路55航海・その他オーストラリア方面への臨時航海をあわせ計58回の遠距離航海を行い南米航路では乗客約67,000名・内約12,000名の移民を輸送した[70]

引退後

引退した「ぶらじる丸」は三重県鳥羽市に係船され、1974年(昭和49年)7月1日から海上パビリオン「鳥羽ぶらじる丸」として営業[75]。16.5億円の改装費をかけ本船を運航した商船三井客船をはじめとした商船三井グループ各社や鳥羽市開発公社・近畿日本鉄道・安宅産業等が出資した「鳥羽ぶらじる丸観光」により運営され、海洋思想の啓蒙を主目的に操舵室や機関室など外洋客船の主要部を活かしつつ、古代の船の模型や海底の様子を表現した映像スクリーンなどを配した「海洋コーナー」・ブラジルの自然や文化などを映像やパネルなどで多面的に紹介する「ブラジルコーナー」といった展示室やレストラン・ゲームコーナー・ショッピングコーナーなどを設置した[70]

その後、1996年(平成8年)1月に同パビリオンが営業不振で閉館後、1月20日に「お別れ会」が開かれた[83]

解体のため上海へと曳航されたが、広東省湛江市に本拠を持つ「湛江海上城市旅遊娯楽」の張華生会長が買収し、湛江市に係留の上、湛江号と改名されて海上パビリオン「湛江号海上城市」として利用されており、アミューズメント施設やレストランが入居するが、外装や操舵室はそのまま残されている[84][85]

船内

遊歩甲板[86]
  • 一等食堂(20席)
  • 一等喫煙室
  • 一等室(6室)
遮影甲板[86]
  • 二等室(17室)
  • 二等食堂(70席)
  • 二等喫煙室
  • 隔離病棟
上甲板[86]
  • 三等エントランス
  • 三等食堂(106室)
  • 児童室
  • 理髪室
  • 売店
  • 三等ラウンジ
  • 診療室
  • 洗濯室
第2甲板[86]
  • 三等室(94人・222人・230人・216人・140人各1室)
  • 三等コンパートメント(9室)
  • 三等浴室
  • 出産室
  • 普通病室

ギャラリー


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