せかい‐じんけんせんげん【世界人権宣言】
世界人権宣言(せかいじんけんせんげん)
世界人権宣言
世界人権宣言は、基本的人権尊重の原則を定めたものであり、それ自体が法的拘束力を持つものではありませんが、初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものでした。
世界人権宣言は、前文と30の条文からなっており、第1条は、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、‥‥いかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」とし、第3条から第21条までは、市民的、政治的基本権について、第22条からは経済的、社会的及び文化的権利等についてうたっています。
その後も、国際人権規約を始め、さまざまな人権関係諸条約が採択され、人権侵害に対する取組が行われてきました。日本はそのうち9つの条約締結国になっています。
世界人権宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 22:30 UTC 版)
世界人権宣言(せかいじんけんせんげん、Universal Declaration of Human Rights、略称:UDHR)は、1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての宣言である(国際連合総会決議217(III))[1]。正式名称は、人権に関する世界宣言。
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- ^ a b 現在のベラルーシ。当時はソビエト連邦の構成国でありながらウクライナと共に「ソビエト連邦」とは別枠で、「白ロシア・ソビエト社会主義共和国」(白ロシアSSR)として国際連合に加盟していた。
- ^ 現在のウクライナ。当時、同国は白ロシア(ベラルーシ)と共にソビエト連邦の構成国でありながら、「ソビエト連邦」とは別枠で国際連合に加盟していた。
- 1 世界人権宣言とは
- 2 世界人権宣言の概要
- 3 影響
- 4 関連項目
- 5 外部リンク
世界人権宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 02:29 UTC 版)
第二次世界大戦後、貧困が社会不安と戦争の惨禍を生んだことから、世界人権宣言は前文で「恐怖と欠乏からの自由」を、その第22条で社会保障を人権の一つとして明記した。 「全て人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展に欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。」 この項目は、1961年に採択された欧州社会憲章と1966年に採択された『経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約』により基本的人権である社会権の一つとして法定拘束力を与えられた。
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世界人権宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/21 16:44 UTC 版)
「アウストレジェジロ・デ・アタイデ」の記事における「世界人権宣言」の解説
世界人権宣言の起草にあたっては、国連総会、国際連合経済社会理事会から送付され、宣言の草案を審議した第三委員会(社会、人道、文化委員会-The Third Committee : Social, Humanitarian, Cultural)に、ブラジル代表として参画(1948年9月30日-12月6日)。第一条の審議にあたっては別個の提案をし、議論を深めるのに貢献した。第二十六条の教育の権利についての審議でもアタイデは「全ての人が教育を受ける権利は疑いの余地がない。人類の遺産を分かち合うことは現代文明の基礎を構成するものであり、誰人によっても否定されるべきではない。教育なくして個人が自分の人格を深めることもできない。それこそが人生の目的でもあり、社会の最も重要な基礎になるものなのだ」と述べている。 世界人権宣言の起草委員会(議長=エレノア・ルーズベルト)の副議長を務めたフランスのルネ・カサンは、ノーベル平和賞の受賞(1968年)の折「この賞をブラジルの偉大な思想家・アタイデ氏と分かち合いたい」と話した。
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世界人権宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:08 UTC 版)
ルーズベルトの「4つの自由」の概念は、その妻のエレノア・ルーズベルトの個人的な使命の一部となり、彼女が起草に参加した世界人権宣言(国連総会決議217A)の背後にあるインスピレーションとなった。実際、4つの自由の概念は、世界人権宣言の前文に明示的に組み込まれており、その中には次のように書かれている。「人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、」
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