ゲーム開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 02:41 UTC 版)
ゲーム開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 23:54 UTC 版)
「CD Projekt」の記事における「ゲーム開発」の解説
ダークアライアンスの中止後、CD Projektの創業者達は配信者やゲーム開発者として継続すべきかどうか疑問に思った。 ゲームはキャンセルされたがそのコードがCD Projektによって所有されていたため、同社は最初のオリジナルゲームを開発するためにそれらを使用した 。彼らは、アンドレイ・サプコフスキの小説『Wiedźmin』(ポーランドで人気のある書籍)に基づいたゲームシリーズを開発しようとしており、作者は同社の開発提案を受け入れた。フランチャイズ権はポーランドのモバイルゲームスタジオに売られていたが、スタジオはフランチャイズに関連するものは何も手がけておらず、CD Projektは『Wiedźmin』フランチャイズの権利を買収した。イウィンスキによると、彼とキシンスキは当時ビデオゲームを開発する方法を知らなかった。このゲームを開発するために、同社は2002年3月6日にウッチにゲーム開発スタジオ「CD Projekt RED Sp. z o.o.」(セバスチャン・ジエリンスキ代表)を設立した。スタジオはデモゲームを制作したが、アダム・バドウスキが回想で「クソ」と呼んだこのデモは、ダークアライアンスやディアブロのようなトップダウンの視点からなるRPGであり、『Mortyr』を動かすゲームエンジンを使用した 。イウィンスキとキシンスキは、多くのパブリッシャーにデモを提供したが不成功に終わった。ウッチの事務所は閉鎖され、スタッフはジエリンスキを除いてワルシャワ本社に移動した。 ジエリンスキは会社を辞め、キシンスキはプロジェクトに取り組んだ。ゲームの開発は続けられたが、デモは破棄された。CD Projektによると、開発チームはゲームの考え方が異なり、全体的な方向性が欠けていた。その結果、2003年に製図ボードの段階まで戻った 。ビデオゲームの開発に精通していなかったチームは、2年近くの製作作業に費やした。2004年のE3で、ジェイド エンパイアのブース横にCD Projektのスペースを提供することでゲームのプロモーションに貢献したBioWareの支援を受けた。 BioWare社もAuroraのゲームエンジンを同社にライセンス供与した。 ゲームの予算は想定を超え、元の15人の開発チームは100人に拡大し、2000万ズウォティの費用を要した。イウィンスキによると、コンテンツは予算上の理由からゲームから削除されたが、キャラクターの性格は保持されていた。 しかし、ゲームのポーランド語のテキストを英語に翻訳するのが困難だった 。アタリがゲームを販売することで同意した 。開発から5年後 『Wiedźmin』を世界のユーザーに向けて発売した。その際に『Wiedźmin』の英語名『Witcher(ウィッチャー)』がつけられた。2007年に発売されたウィッチャーは概ね肯定的なレビューを受けた。 売り上げは満足していて、ウィッチャーの発売直後に続編の開発が始まった。 チームはウィッチャー2のデザイン作業を開始し、ウィッチャー3の新しいエンジンを開発するためにゲーム機を試した。ウィッチャーのゲーム機版『The Witcher:White Wolf』に関する作業を開始した時点で開発が中止された 。彼らはフランスのスタジオ「Widescreen Games」とゲーム機版の開発で協力していたが、開発地獄に陥った。Widescreen Gamesは作品を開発するためにより多くの人手、資金、時間を要求し、報酬が払われていないと主張した。イウィンスキによると、CD Projektは彼ら自身のスタッフよりも多くの報酬を支払ったとしている。 チームは開発を中止しプロジェクトをキャンセルした。Atariはこの決定に不満を抱いており、CD Projektに対しゲーム機版作品の開発資金を返済することを要求し、イウィンスキはAtariがウィッチャー2の続編の北米販売企業であることに同意した。CD Projektは2008年にメトロポリス・ソフトウェアを買収した。 『White Wolf』についての論争は犠牲が大きかった。企業は倒産の危機に直面し 、世界金融危機もその一要因だった 。倒産を回避するため、チームはウィッチャー3エンジンを使用した「ウィッチャー2」に専念することに決めた。REDエンジンの開発が終了し、ゲームを他のゲーム機に移植することが可能になった 。ウィッチャー2を開発するため、企業はメトロポリスのFPSゲーム『They』の開発を中断した 。開発に三年半かけ、『ウィッチャー2 王の暗殺』が2011年に発売された。ウィッチャー2は批評家から称賛を得て 170万本以上のセールスを記録した。 ウィッチャー2の後、CD Projektは他のゲームと同様のクオリティーでオープンワールドゲームを開発したいと考えていたが、ウィッチャー2.5という批判を避けるために新機能の追加を望んだ。 彼らはゲームのグラフィックスを向上させるためにPCと第8世代のゲーム機(PS4、Xbox one等)のみにリリースしたいと考えた。これによりチーム内での議論が始まり、メンバーの一部は収益を最大化するために古いゲーム機用のゲームを発売したいと考えていた。ウィッチャー3 ワイルドハントは開発に三年半の歳月を要し、開発費は8100万ドル以上になっていた。度重なる遅延の後、2015年5月に発売された同作は批評家から称賛された 。ワイルドハントは商業的に成功し、最初の6週間で600万本を販売し、2015年上半期にスタジオに2億3600万ズウォティ(6250万ドル)の利益をもたらした 。開発チームは15種類のダウンロードコンテンツと2種類の拡張コンテンツ『無情なる心』『血塗られた美酒』を発売した 。CD Projektは他にも二種類のウィッチャーゲームを発売した。PC、Android、iOS向けボードゲーム『The Witcher Adventure』 と、Android、iOS向けマルチプレイヤーオンラインバトルアリーナゲームの『The Witcher: Battle Arena』である。 2015年12月、CD Projekt REDはThe Game Awards 2015で「最優秀ゲーム開発企業」賞を受賞した 。2016年3月には、CD Projektは同社が開発中の別のRPGゲームがあり、2017年から2021年の間に発売される予定であると発表した。また、RED部門を2倍に拡大する計画も発表した 。E3 2016で、同社はウィッチャー3内の人気カードゲーム「グウェント」に基づいた『グウェント ウィッチャーカードゲーム』を発表した。
※この「ゲーム開発」の解説は、「CD Projekt」の解説の一部です。
「ゲーム開発」を含む「CD Projekt」の記事については、「CD Projekt」の概要を参照ください。
「ゲーム開発」の例文・使い方・用例・文例
ゲーム開発と同じ種類の言葉
- ゲーム開発のページへのリンク