AMC時代とは? わかりやすく解説

AMC時代(1938年 - 1966年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/26 06:44 UTC 版)

マチレス」の記事における「AMC時代(1938年 - 1966年)」の解説

AJS (オートバイ)」も参照 1938年マチレスAJS統括する親会社として AMC ( Associated Motor Cycles ) が設立された。AMCは後にフランシス・バーネット ( en:Francis-Barnett ) やジェイムズ ( en:James Cycle Co ) 、ノートンといったオートバイメーカー吸収していった。 第二次世界大戦中は、マチレス軍用として80,000台の G3 および G3L を生産した1941年生産始めたG3Lにはテレドローリック・フォークと呼ばれるフロント・サスペンション採用していたが、これはマチレスオートバイとしては初めてのテレスコピックフロントフォークである。テレドローリック・フォークは25年間に渡るオートバイのサスペンション歴史の中で最も大きな革新であると評価する者もいた。 戦後マチレス / AJSブランドの350ccモデルと、戦時中伝説的な軍用オートバイであったG3発展させた500cc単気筒マチレスG80 から生産再開した1948年からは競技用マシン製造始め数々勝利を記録した1949年にはマチレス / AJS初めてのバーチカルツインエンジンの500ccモデル発売1956年には600cc、1959年には650ccモデルへ発展したレースモデルではAMCスーパーチャージャー装備した AJSポーキュパインAJS・7R などを生産し1949年始まったロードレース世界選手権ではスーパーチャージャー取り外したポーキュパインレスリー・グラハムが500ccクラス初代チャンピオン輝いている。 1952年にはマチレスG9 のバーチカルツインをチューニングした500ccエンジンを、7Rをベースとしたフレーム搭載したマチレス・G45 を開発。G45はデレック・ファラントのライディングにより平均速度88.65mphでマンクス・グランプリ勝利したAMCはG45の量産開始し11月アールズ・コート開催されモーターショー出品した量産型G45はファン受け入れられ、、多くクラブマン(アマチュア・レーサー)がマチレス / AJSの500ccや350ccの市販レーサーレース出場した。しかし1954年になるとヨーロッパでオートバイメーカー競争激化し開発責任者のアイク・ハッチ ( Ike Hatch ) が死去したことも重なってAMCこの年終わりワークス活動から撤退することを決定した。ただし市販レーサー製造販売続けており、1959年にはプライベーター用の市販レーサーであるマチレスG50発売G50はボア・ストローク 90.0 x 78.0 mm出力50 bhp最高速度135 mph ( 217 km/h ) を誇りライバルであったノートン・マンクスにスペックではわずかに劣っていたものの、軽量な車体生かしてタイトなサーキットでは度々マンクス打ち負かした1958年マチレス / AJSロードモデル250ccクラス市場参入し1960年には350ccの軽量単気筒モデルラインナップ加えたG15 は、前作の G12 の長所受け継ぎつつフレームフロントフォーク、リヤスイングアーム、プライマリーチェーンケース、トランスミッション駆動系潤滑系多岐に渡る改良受けたモデルである。G15シリーズは、AMC所有する三つブランドかそれぞれリリースされた。まずマチレスブランドとして G15CS と G15CSR から成るG15シリーズAJSからは M33Mk2、M33CS、M33CSR のバリエーションを持つ Model 33 シリーズ、そしてノートンロードスター、N15CS である。G15シリーズ1963年から生産始まり当初輸出専用モデルであった1965年からはイギリスでも販売された。 マチレス・G85CS は圧縮比 12 : 1 で低回転から扱いやすく改良された500ccエンジン搭載したモデルで、1920年代以来の古い設計オイルポンプノートン製のギヤ駆動式のものに交換されていた。この改良は元々は1964年に350cc / 500cc のロードスターモデルに対して成されたもので、その後にG85SCにも加えられた。新しオイルポンプ高性能単気筒エンジンの高回転域でも安定したオイル供給可能にしていた。G85CSは1966年には更に改良され新しピストンによって圧縮比は更に 12.5 : 1 にまで高められた。またアマルGPキャブレター標準装備によって、始動性に難があったものの 41 bhp / 6500 rpm最高出力発揮したP11 はG85CSのフレーム変更し強化したフロントフォーク、完全新設計の駆動系潤滑系チェーンケースなどいくつかの改良加えたモデルであり、AMC生産した最後モデルとなったマチレス / AJS は、快適で扱いやすく信頼性にも優れ経済的なオートバイ提供し続けた。しかし、これらの特性商業的に成功し続けるには十分ではなく1960年代入ってから売り上げ落ち込み続けていた。1960年チーフ・デザイナーのバート・ホップウッド ( en:Bert Hopwood ) がAMC辞め、メリデンに拠点があったトライアンフ移籍したが、この年AMC計上した利益は、同じイギリスオートバイメーカーであるBSA利益350ポンドであったに対してわずかに20ポンド程度だった。そして翌1961年には35ポンド赤字となり、1962年には既にAMC傘下となっていたノートンバーミンガム工場閉鎖しノートンマチレス生産拠点一本化するなどの合理化をはかるが、状況明らかに厳しくなりつつあった。AMCノートン2気筒モデルに、マチレス / AJS単気筒モデルラインナップを絞るという決定下すがこの戦略功を奏することはなく、ついには生産中止至りAMC倒産会社資産新会社のノートン・ビリヤーズに引き継がれた。

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