AMC傘下でのノートン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:03 UTC 版)
「ノートン・モーターサイクル」の記事における「AMC傘下でのノートン」の解説
レースでの成功に関わらずノートンは財政難に陥り、1953年にはAMC(en)に売却された。1962年、創業以来のバーミンガム工場は閉鎖され、生産はロンドン南東のウーリッジに位置したAMCの工場に集約された。 しかし、この再編はノートンに優秀なギアボックスが提供されるという好結果をもたらし、1956年以降のモデルから搭載され始めた。この年600ccの『ドミネーター』(Dominator 99)が発表された。さらに1962年、ノートンは同ギアボックスを搭載した『マンクス・ノートン』を世に送り出した。47英馬力/6,500rpmを発生する排気量499cc単気筒ベベルギアDOHC駆動2バルブのエンジンを搭載し、車重142kgのマシンは最高速度209km/hを誇った。ボア86mm×ストローク85.6mmとボア76mm×ストローク100mmのエンジンはどちらも圧縮比11:1に設定され、アマルGPのキャブレーターとルーカス・レーシングのダイナモを備えていた。価格は440ポンドで販売された。ノートンは1954年にレースから撤退し、この『マンクス・ノートン』も1963年を最後に販売中止となったが、プライベーターにとっては持って来いのベースマシンとして高く評価され、今に至るまで時々見受けられる。 1961年1月発売の『650SS』とアメリカ合衆国市場を狙い翌年に発売された『アトラス』(Atlas 750)には引き続き「ノートン・フェザーベッド」フレームが使用された。しかし単気筒よりも出力曲線がスムーズなバーティカルツイン形式のエンジンの排気量を上げると、4,500rpm前後で振動の問題が表面化した。さらに『アトラス』は非常に高価で、コスト削減も難しい状態にあった。このような中、財政的な問題が頻発していた。 AMC所有ブランドで『G15』モデルを共有したブランド『P11』の販売が1963年から開始された。マチレス製『G85CS』フレームに、『アトラス』のエンジンとホイールやフロントフォークを搭載したモデルは、AJSからは『モデル33』シリーズとして、マチレスからは『G15』シリーズとしてそれぞれ発売され、主に輸出用とされた。このモデルは「ノートン・フェザーベッド」フレームよりも制振性には優れており、1969年まで製造販売された。これとほぼ同時期に、AMCはノートンブランドで単気筒オートバイも製造販売していた。
※この「AMC傘下でのノートン」の解説は、「ノートン・モーターサイクル」の解説の一部です。
「AMC傘下でのノートン」を含む「ノートン・モーターサイクル」の記事については、「ノートン・モーターサイクル」の概要を参照ください。
- AMC傘下でのノートンのページへのリンク