1992年から2009年
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「ライアンエアー」の記事における「1992年から2009年」の解説
1992年に、欧州連合(EU)のヨーロッパ航空業界の規制緩和により、EU加盟国の航空会社は他のEU加盟国間で定期便を運航する権利を与えられ、ライアンエアーにとって大きな機会となった。ダブリンとNASDAQの証券取引所に上場した後、ストックホルム、サンデフィヨルド、トルプ(オスロから南に110km)、パリ・ボーヴェ・ティレ、ブリュッセル・シャルルロワへの運航を開始した。1998年に新しい資本で急増し、ボーイング737-800を45機、20億米ドルで大量注文を出した。 2000年に公式ウェブサイトを立ち上げた。オンライン予約により、航空券を乗客に直接販売し、旅行代理店が課す費用を除外することで運賃を下げるという目的にますます貢献していく。1年以内に、すべての予約の4分の3をウェブサイトで承っていた。 ライアンエアーは2001年にブリュッセル・シャルルロワ空港で新しい拠点を立ち上げた。同年後半、大幅な割引と思われるボーイングに737-800機を155機発注し、2002年から2010年にかけて導入された。このうち、約100機は2005年末までに納入されたが、ボーイングの機械工のストライキで生じた生産の混乱により、2005年後半に若干の遅延があった。 2003年4月、ライアンエアーはライバル会社であるバズをKLMオランダ航空から買収した。 2004年第2四半期の330万ユーロの損失は、15年間で記録した最初の損失だったが、その後すぐに利益を上げた。同年5月1日にEUの加盟国が増えたことで、ライアンエアーの路線がさらに広がった。 新しい路線と基地の急速な追加により、乗客数の増加が可能になり、ライアンエアーはヨーロッパで最大の航空会社の1つとなった。2005年8月に、同社はイギリスのブリティッシュ・エアウェイズよりヨーロッパ内で乗客を20%多く運んだと主張した。 2006年9月30日までの6か月間、旅客数は5分の1以上増加し2,210万人になり、収益は3分の1増加し12億5,600万ユーロになった。 2006年2月13日、イギリスのチャンネル4は、ドキュメンタリー『Dispatches: Ryanair Caught Napping』を放送した。ライアンエアーの訓練方針、セキュリティ手順、航空機の衛生状態を批判し、スタッフの士気の低さを強調した。ライアンエアーは主張を否定し、宣伝資料、特にスチュワーデスが眠っている写真などは潜入捜査員によって偽造されたと主張した。この特集は、日本でも『世界まる見え!テレビ特捜部』にて2009年3月23日に放送された。 2006年10月5日、ライアンエアーは、アイルランドのフラッグ・キャリア、エアリンガスを買収するために14億8000万ユーロの買い付けを開始した。2006年10月2日、エアリンガスはライアンエアーの公開買い付けを拒否した。 2006年8月、空港での搭乗手続きの料金を乗客に請求し始めたため、オンラインチェックインに対する支払いの方針を覆した。空港での搭乗手続きを削減することにより、諸経費が削減されると述べている。 ライアンエアーの最高経営責任者(CEO)であるマイケル・オリアリーは2007年4月、ライアンエアーは2009年頃に長距離路線を新設する予定であると述べた。ライアンエアーとは別のブランドで運営され、運賃が10ユーロからという低運賃と、ヴァージン・アトランティック航空などの航空会社に対抗することを目的とした。路線は現在ライアンエアーが拠点空港としている空港から、アメリカ国内の約6都市までを結ぶという。社名はライアン・アトランティックになり、提携契約に基づいてライアンエアーのウェブサイトを通じて航空券を販売するとされている。2010年2月には、低コストで運用するための機材選定に手間取っていることを理由として、就航を2014年に延期すると公表した。さらに2014年には、参入時期について2019年以降とする方針を明らかにしている。 2008年10月、ライアンエアーはスペインのバレンシアにある拠点を閉鎖した。 同年12月1日、ライアンエアーは、7億800万ユーロの現金を拠出する、エアリンガスの2度目の公開買い付けを開始した。この提案には、エアリンガスの過去30日間の株価に対し28%のプレミアムが付いていた。ライアンエアーは、「他のEUフラッグ・キャリアが統合しているため、エアリンガスは小規模な独立型のリージョナル航空会社に周辺化され、迂回されている」と述べた。主張では2つの航空会社は別々に運営され、ライアンエアーは、エアリンガスの短距離路線の機材を33機から66機に倍増させ、1,000名の新規雇用を創出すると主張した。エアリンガスの取締役会はこの提案を拒否し、株主には何の行動も取らないよう助言した。アイルランド政府は、ライアンエアーの最高経営責任者であるマイケル・オリアリーCEOの申し出を「航空会社を過小評価している」と非難し、ライアンエアーの買収は業界の競争とアイルランドの消費者に「重大な悪影響」を与えると述べた。 2009年、ライアンエアーは、ボーイングおよびエアバスと航空機を最大200機の注文を交渉中であると発表した。ライアンエアーはこれまでボーイングの航空機を扱っていたが、マイケル・オリアリーはより良い取引を提供するのであれば、エアバスの航空機を購入すると述べた。エアバスのチーフコマーシャルオフィサー(CCO)のジョン・リーヒーは、2009年2月にいかなる交渉も行われていないと否定した。 2009年2月21日、ライアンエアーは2010年初頭までにすべての空港チェックインデスクを閉鎖する計画であることを発表し、2009年10月に実現した。 2009年6月、ライアンエアーは最初の年間損失を報告し、3月31日の決算期で報告された損失は1億6,900万ユーロだった。 2009年11月、ライアンエアーはボーイングとの交渉が順調に進まず、交渉を中止した。2013年から2016年の間に200機を納入し、株主に現金で返還することを考えていると発表した。ボーイングのライバル社であるエアバスはライアンエアーの代替ベンダーとして再び言及されたが、マイケル・オリアリーとエアバスのジョン・リーヒCCOがこれを却下した。同年12月、ライアンエアーはボーイングとの交渉が失敗したことを明らかにした。計画では、すでに注文されていた112機すべてを取り寄せ、2012年までには総機材数を300機超える予定だった。その後、ライアンエアーは、価格に関して合意に達したことを確認したが、以前の契約から特定の条件を引き継ぐことを望んでいたため、条件については合意できなかった。
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