1992年のセ・リーグ
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「プレーオフ制度 (日本プロ野球)」の記事における「1992年のセ・リーグ」の解説
この年は同リーグで最もプレーオフに近かったケースである。10月になってもヤクルト、阪神、巨人、広島の4チームに自力優勝の可能性が生じていたが、まず広島が優勝争いから脱落した。 この時点ではヤクルト・阪神・巨人の3チームが同率で並ぶ可能性が残されていた。そこで、セ・リーグ史上初の事態に備えるため、1回目の「プレーオフ委員会」が招集され、2チーム同率のときは3戦2勝制のプレーオフ、3チーム同率のときは1試合ずつ対戦相手を変えて2敗したチームが脱落、2チームが脱落するまで繰り返す「三つ巴戦方式」(大相撲の巴戦とは条件が異なる)のプレーオフを行うことがまず決定された。その後巨人が脱落。 この時点での成績はヤクルト68勝60敗1分け(勝率.531)、阪神が66勝62敗2分け(勝率.515)で、残り2試合で甲子園での直接対決となった。ヤクルトが1勝すればヤクルトが優勝、阪神は2連勝しなければプレーオフに持ち込めない状況となった。 そこで2回目の「プレーオフ委員会」が招集され、「3戦2勝制とし、第1試合は甲子園、第2試合は神宮とそれぞれのホームで1試合ずつこなし、もし1勝1敗の場合の決勝戦=第3試合、あるいは雨天中止の予備会場は日本シリーズが10月17日開催に迫っていることなどを踏まえ、東京ドームを借りて行う」という取り決めが定められた。しかし、その2連戦の最初の試合でヤクルトが勝ちリーグ優勝。プレーオフは実施されなかった。
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