鹿児島高等農林学校時代とは? わかりやすく解説

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鹿児島高等農林学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:43 UTC 版)

鹿児島高等農林学校」の記事における「鹿児島高等農林学校時代」の解説

1907年明治40年3月 - 第23回帝国議会第二高等農林学校創設協賛創設経費220万円のうち、約110万円土地16,000坪は地元鹿児島県寄附した。 1908年明治41年2月 - 校舎起工3月 - 文部省直轄諸学官制改正により、「鹿児島高等農林学校」が設立される勅令68号)。 1909年明治42年5月 - 玉利喜造初代校長任命される校地鹿児島市荒田定める。 7月 - 鹿児島高等農林学校規程制定専門学校令準拠本科修業年限3年) に農学科林学科設置校舎建設遅れたため、寄宿舎南寮を事務所校舎食堂講堂として一時的に使用9月28日 - 第1回入学宣誓式を挙行9月29日 - 授業開始1910年明治43年9月 - 本館完成林園開設1911年明治44年9月 - 校歌「緑したたる南洋の」を制定作詞:淵野旭子、作曲:村岡重任)。 11月23日 - 開校式と新嘗祭挙行1912年明治45年7月 - 第1回卒業式挙行1913年大正2年)秋 - 暴風雨農場柑橘類果樹壊滅1914年大正3年1月 - 桜島の大正大噴火農場・高隈演習林被害1915年大正4年4月 - 種子島牧場設置熊毛郡種子)。 10月 - 校内南洋博物館設置1916年大正5年5月 - 寄宿舎自治寮化 (1917年大正6年3月、「対岳寮」 と命名)。 7月 - 鹿児島郡西武田村中郡宇村唐湊実習地を設置1917年大正6年4月 - 農学科第一部農学)、第二部農芸化学)、第三部農芸生物) に分割この年 - 学生研究組織として「図南会」を設立1918年大正7年10月 - 揖宿郡指宿(現・指宿市)より土地寄附を受け、指宿植物試験場開設温泉熱を利用し熱帯植物栽培研究行った1920年大正9年この年 - 大学昇格運動勃発同窓会設立。「農科大学立地として、大都会工業地寒冷地不適当」と主張したが、結果として大学昇格失敗した2月 - 本科養蚕学科設置9月 - 別科設置修業年限1年農学別科林学別科)。 1921年大正10年3月 - 本科農学科第二部独立し農芸化学科となる。農学科第三部農学科第二部改称1922年大正11年)- 林学別科廃止1923年大正12年6月 - 同窓会誌 「あらた」 創刊。「あらた」の由来は(1)学校所在地荒田」、(2)「新た」、(3)ラテン語で 「翼」(alata)。 1928年昭和3年)- 図書館改築 (現・鹿児島大学総合研究博物館 常設展示室)。 1929年昭和4年)- 農学別科廃止1931年昭和6年10月 - 桜島熔岩実験場開設鹿児島郡西桜島村)。 1939年昭和14年4月 - 本科獣医学科設置1940年昭和15年2月 - 校内興亜博物館設置1941年昭和16年8月 - 家畜病院完成

※この「鹿児島高等農林学校時代」の解説は、「鹿児島高等農林学校」の解説の一部です。
「鹿児島高等農林学校時代」を含む「鹿児島高等農林学校」の記事については、「鹿児島高等農林学校」の概要を参照ください。

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