鹿との共存と人気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:33 UTC 版)
市街地に野生の鹿が人と共存している場所は日本では奈良以外にはない。そのため、大変親しまれている。ビニール製の車輪付き人形や鹿の角カチューシャなどが土産物として売られている。明石家さんまが歌謡曲『奈良の春日野』に「鹿のフン」の踊りをしてヒットして「鹿のふん」というお菓子も土産に加わった。 鹿へ愛玩用に食べさせる鹿せんべいが売られていて、貼付の証紙が奈良の鹿愛護会の財源の一つとなっている。鹿の主食は芝で、せんべいはおやつである。せんべいを持っていると奈良の鹿はおじぎする。しかし、いつまでも食べさせないと怒ったシカに噛まれたりすることがある。奈良の鹿愛護会では、24時間体制で鹿の救助・救出を行っている。また、同会では、江戸時代に始まった鹿の角切りを継続させ開催している。角切りで切られた角は、加工業者に売却され、過去には帯留め・箸などの生活用具や、置物等の鹿角細工にされ、奈良土産で人気があったが、職人の減少で衰退。最近は、軸に角を使った高級筆ペンや角キャップの高級万年筆、持ち手に使用のステッキなど新たな使用方法で奈良らしさや高級品の象徴となっている。 奈良の鹿は絶えず栄養不良だが、保護されていることで長生きするという微妙なバランスの中で生息しているのが特徴である。一般の野性鹿より体格は小さく、成獣雄鹿の体重は通常50キロほどだが、奈良の鹿は30キロ程度で体長も小さく体格も劣る。大腿骨骨髄の色の検査でも栄養不足を示している。しかし人の与える鹿せんべいはあくまでもおやつであるためそればかり食べていると栄養が偏り、他の物を給餌すれば自然の鹿のエサとは違うため体格は大きくなっても健康を害したり、味を覚えれば鹿害獣と化す可能性がある。自然のエサであるシバや草やドングリも集めるには限界があり、この問題は未解決のままとなっている。 前記の通り鹿せんべいを見せるとおじぎをするなど、通常は人に危害を加えることはないが、出産直後の子連れのメスや発情期のオスはこの限りではなく、注意が必要となる。特に外国人観光客の増加に伴い、鹿に噛まれるなどして怪我をする被害が、2018年(平成30年)度は200件(奈良県の調査、2019年(平成31年)1月時点の数字)と過去最多になった。これは集計を開始した2013年(平成25年)度の4倍の数である。怪我人の多くは中国人などの外国人観光客であった。骨折などの大けがをした人は年間最多の8人で、うち5人は外国人観光客だった。2017年(平成29年)度までの8年間で10人がシカに突き飛ばされるなどで骨折しており、近年重傷者が激増している。2017年(平成29年)の怪我人は186人で、いずれも鹿せんべいを与える時に写真を撮るなどして、その際に焦らして鹿を怒らせ攻撃的にさせたのが主な原因とされている。こうした外国人観光客と鹿の間で発生するトラブルの増加に伴い、奈良県は2018年(平成30年)4月から中国語、英語、日本語の「鹿せんべいを与える際の注意看板」を公園と鹿せんべい販売所周辺に設置した。 奈良公園の鹿で特に有名な個体は、1954年(昭和29年)8月20日に生まれた頭の中央に冠状に白い毛が生えた「白ちゃん」である。白ちゃんは奈良国立博物館敷地とその周辺をテリトリーにしていた。9歳の時に一度だけ出産した子供が車に轢かれて死に、それ以後白ちゃんは、怒りを表し車に突進していくようになった。心配した近所の人たちが奈良の鹿愛護会に相談し、白ちゃんの思う通りにさせるため、1台1台車を止めて、「この先で鹿が飛び出してくるので注意してほしい」と運転者に依頼したが、1週間で突進を止めた。しかし、1972年(昭和47年)、白ちゃん自身も交通事故で死んだ。 1994年(平成6年)6月には、春日大社の由来にあるような白鹿が実際に誕生したが、注目を浴びすぎて人に追われ道路に走り出て、車にはねられ右前脚を骨折。鹿苑内で保護し、2003年(平成15年)6月に奈良公園に戻した。しかし、また観光客らに追い回され、後ろ両足を疲労骨折、2003年(平成15年)7月下旬から鹿苑内で再保護していたが、2004年(平成16年)2月11日に肝臓病で9歳で死亡した。通常、12から15年の寿命の雄鹿が10年未満で死んだことに、奈良の鹿愛護会は「注目されすぎ公園に出たのにすぐに骨折して戻り、不憫な生涯だった」と嘆いた。
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