くじら‐ぶね〔くぢら‐〕【鯨船】
捕鯨船
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 17:33 UTC 版)
捕鯨船(ほげいせん)とは、捕鯨に用いられる船のことである。
注釈
- ^ 高速性能などが優れたことから、捕鯨用以外の船舶にも搭載艇として採用され、同様に捕鯨ボートと称された。
- ^ 当時の捕鯨拠点の一つだったアゾレス諸島では、捕鯨ボートを沿岸から使用する捕鯨が行われ、動力船で曳航して洋上へ出るように進化をしながら、商業捕鯨停止となるまで続けられていた。
- ^ 第二次世界大戦前においては外航客船と並び最大級の民間船であった。
- ^ ただし、雄勝湾で自沈した第十五京丸とチューク諸島(トラック諸島)で沈没した第三図南丸は、捕鯨船不足のため戦後にサルベージが行われ再使用された。
- ^ 橋立丸や第一日新丸(元・大攬丸)、極洋丸(元・鶴岡丸)、第二図南丸(元・松島丸)のように、石油タンカーから改装された捕鯨母船も少なくない。
出典
- ^ #田中P.123
- ^ #田中P.136-137
- ^ 佐賀県立博物館 『玄界のくじら捕り 西海捕鯨の歴史と民俗』、1980年
- ^ a b c d #田中P.144
- ^ #田中P.145
- ^ 2019年7月1日付西日本新聞夕刊
- ^ a b #高橋P.119
- ^ a b c #高橋P.120
- ^ #毎日P.122
- ^ #板橋P.7
- ^ 小川詩織 (2023年3月25日). “クジラ描かれた弥生土器発見 2例目 でも捕鯨は盛んじゃなかった?”. 朝日新聞デジタル 2024年4月30日閲覧。
- ^ #板橋P.8
- ^ #板橋P.9
- ^ #板橋P.10
- ^ 同船は翌年の日露戦争勃発により、日本によって拿捕される。
- ^ #板橋P.26
- ^ “海を拓いた萩の人々、7 ~ 近代捕鯨の先覚者・岡十郎 ~:萩博ブログ”. 萩博物館 (2015年2月19日). 2024年1月24日閲覧。
- ^ #板橋P.27
- ^ #板橋P.30
- ^ #板橋P.31
- ^ #板橋P.59-60
- ^ 今泉遼 (2023年8月31日). “捕鯨の新母船「関鯨丸」の進水式「鯨肉の供給責任果たせる」…課題は消費者の需要喚起”. 読売新聞. 2023年11月13日閲覧。
- ^ 深水千翔 (2023年9月1日). “世界唯一!70年ぶり新造「捕鯨母船」ベール脱ぐ 電気の最新鋭船で“クジラ漁本格再開”外相もエール”. 乗りものニュース 2023年11月13日閲覧。
- ^ a b 『世界の艦船』1981年5月号(No.295) p.49
- ^ a b 「海上自衛隊・海上保安庁 艦船の動向 昭和56年度を顧みて」 海上保安庁 4.解役船艇(『世界の艦船』1982年7月号(No.309) p.147)
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