音楽に倦み、また惹かれるとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 音楽に倦み、また惹かれるの意味・解説 

音楽に倦み、また惹かれる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:20 UTC 版)

ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事における「音楽に倦み、また惹かれる」の解説

1861年秋、ヴェルディ音楽制作戻っていた。激変したイタリア刺激された事、また、まだ知らぬロシアからのオファー舞い込んだことも情熱掻き立てた一流歌手が揃うペテルブルク帝室歌劇場期待させた。題材スペイン戯曲求め書き上げた曲を携えて12月夫妻汽車乗客となった。しかし、ソプラノ歌手体調崩して舞台中止され、質を落とす位ならばと数ヶ月単位延期決めて夫妻パリ向かったひととき休めず 『運命の力』1862年Act 3, Scene 3.。出演エンリコ・カルーソージュゼッペ・デ・ルカ英語版) この音声映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声動画の再生ご覧ください1862年2月ヴェルディパリロンドン万国博覧会用の作曲依頼受けた。これはドイツジャコモ・マイアベーアフランスのフランソワ・オーベールと並んだ打診であり、ヴェルディはいわばイタリア代表とも言えた。彼は「諸国民の賛歌 (Inno delle Nazioni)」を作曲し見物兼ねてロンドン訪問したが、万博音楽監督担当したナポリ出身作曲家面白くなく思ったのか「諸国民の賛歌演奏断った結果別に演奏され好評博したが、この曲のイタリア公演は再び不穏さを増した政治情勢鑑みて断った。 そして秋になり、再びペテルブルク入ったヴェルディ11月開演した『運命の力』一定の満足を得て、しかも聖スタニスラス勲章贈られる栄誉授かった。ただしこの作品は他の都市ではあまり評価されなかった。3人が死を迎えて終わるフィナーレ場面強調するあまり筋のつながりが悪いなど、台本に無理があった。しかし音楽では、脇役含めた人物の特徴表現する多彩な合唱や、テーマ場面そして人物の感情変化などを繋ぐ音楽ヴェルディ創意反映していた。数年後には台本改訂受けて再演され、本作品は高く評価された。 翌年『運命の力』スペイン公演指揮し、さらに『シチリアの晩鐘再演のためヴェルディパリ入った。だが、相変わらずオペラ座仕事遅くいい加減で、リハーサル面倒臭がる団員たちにヴェルディ怒り爆発させイタリア帰ってしまった。 サンターガタ引っ込み夫妻農場経営精を出すヴェルディは「昔から私は農民だ」とうそぶいていた。しかしイタリア音楽界にはドイツから吹く新しい風晒され、若い作曲家たちはリヒャルト・ワーグナーから強い影響受けてヴェルディ過去の人とみなし始めていた。彼はそのような評判受け流しつつも、皮肉を返すなど内心は穏やかでなかった。そして興行主からはヴェルディ才能依然高く評価されていた。1864年夏にパリ出版勤しむエスキュディエから『マクベス』改訂版の上演を打診されると、これをヴェルディ受けた。しかし、ヴェルディ思想フランス観衆嗜好合わず1865年公演失敗した。 だが、1867年ヴェルディは、パリ万国博覧会記念オペラ制作依頼を、しかも会場があのオペラ座ながら受諾するフリードリヒ・フォン・シラー戯曲題材選び始まった制作に彼は集中する傲慢孤独の間を揺れ動く主人公心情描き出すソロ旋律だけに頼らず楽器音色効果的に使い宗教国家対立結末前例が無いバス二重唱表現する。劇性を重視する姿勢はより鮮明に打ち出した。 しかし、結果はまたも惨憺たるもので終わる。前作同様パリオペラ不必要なバレエ挿入求め、また観客夕食から最終列車までの間に観劇が終わるように筋の短縮迫りオペラ座怠慢は全く変わらない綿密な構想切り刻まれては観客の心は掴めず、1867年3月開演の『ドン・カルロ』は酷評晒され敗北したヴェルディその後オペラ座からの打診を受けなかった。 またもヴェルディ音楽活動休止した1868年2月、父カルロ亡くなった。彼は弟(ヴェルディ叔父)の娘フィロメーナを養育していたが、彼女はヴェルディ夫妻引き取り養女とした。半年後、今度もうひとりの父であるアントーニオ・バレッツィの死を看取った。病に倒れてからは妻ジュゼッピーナも看病通っていたが回復は叶わず、ヴェルディが弾くピアノ黄金の翼」を聴きながら息を引き取った同年秋、ヴェルディ尊敬する同時代人のひとりジョアキーノ・ロッシーニ死に、他の著名なイタリア人作曲家たちとのレクイエム組曲共作することになった。しかし彼は熱心に取り組んだが、無報酬であったため他の者はいまひとつ乗らず計画頓挫したヴェルディは、これは長年友人であり、指揮予定されていたアンジェロ・マリアーニ熱意不足していたためと非難した。これにより2人友情壊れた。この背景には、ヴェルディ夫妻が度々ヴェネツィア旅行した際、マリアーニは婚約していたソプラノ歌手テレーザ・シュトルツ英語版)と会っていたが、考え方違いなどが影響しマリアーニとシュトルツの関係は段々と悪化していった。マリアーニは、シュトルツヴェルディ気持ち傾け始めたためとの疑念持っており、計画乗り気でなかったことがあった。

※この「音楽に倦み、また惹かれる」の解説は、「ジュゼッペ・ヴェルディ」の解説の一部です。
「音楽に倦み、また惹かれる」を含む「ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事については、「ジュゼッペ・ヴェルディ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「音楽に倦み、また惹かれる」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「音楽に倦み、また惹かれる」の関連用語

音楽に倦み、また惹かれるのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



音楽に倦み、また惹かれるのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジュゼッペ・ヴェルディ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS