音楽に対する貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 07:24 UTC 版)
「フェルディナンド・カルッリ」の記事における「音楽に対する貢献」の解説
クラシックギターを学ぶ学生の指導や熟練者が特定の技術を完璧に習得する手段として19世紀に出版され今日もまだ広く使われ非常に影響力のあるカルッリの指導法に加えて、初期のギターの外観に多くの変更、改善を加え、今日使われている最新の形体へクラシックギターを近づけた。 19世紀前半までに、ギターは、5対の弦がついたリュートのような器具から、平らな胴(ボディー)、長い棹(ネック)と円形の響孔(サウンドホール)が中央にある、我々が今日知っているギターに良く似た楽器へと進化した。しかし、現在のものとは少し違い、カルッリの最初のギターは6弦ではなく、むしろ5弦であったと推察され、リュートやビウエラのように各弦は複弦(弦の各組は「コース」と呼ばれる)であった。1組の弦は弾いたときに豊かな共鳴音を生むが、クラシックギターで使われるピッキングにはあまり適していなかった。このことは、同じような複弦構造のリュートが通常プルッキング(かき鳴らす)や稀にストラミング(軽くかき鳴らす)により演奏することと大きく異なっていた。また、この頃のギターはボディがより小さくより厚みが無く、ヴァイオリンやウクレレのようにより反響しない音であった。また、ギターの調律ペグは機械式ではなく、今日のビオラやリュートのように摩擦式であった。機械式調律ピンは今からわずか約100年前、カルッリの時代よりかなり後になって考案された。 晩年、カルッリは、フランスの楽器作成者でギターリストであったアントニオ・デ・トレス・フラドとラコートと一緒に、ギターを現在我々が知っているようなより大きく、より反響する楽器へと改良した。つまり、音がさらに良くなるようにボディーを大きくし表面積を広げ、反響性を上げるために、ふくらみを付け横腹でより長く反響するように改良した。後にフラドは、フラメンコギター形体を、古典的なものよりも音が良く軽くて小さくなものへ改良した。
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