黄金の翼
黄金の翼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:20 UTC 版)
「ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事における「黄金の翼」の解説
次回作にメレッリは『追放者』というオペラ・セリアを提案したがヴェルディは気が乗らず、代わりにオペラ・ブッファ(喜劇)『贋のスタラチオ』を改題して取り組むことになった。ところが1840年6月18日、マルゲリータが脳炎に罹り死去した。妻子を全て失ったヴェルディの気力は萎えメレッリに契約破棄を申し入れたが拒否され、どこか呆然としたまま『一日だけの王様(英語版)』を仕上げた。9月5日、スカラ座の初演で本作は散々な評価を下され、公演は中断された。ヴェルディは打ちひしがれて閉じこもり、もう音楽から身を引こうと考えた。 年も押し迫ったある日の夕方、街中でメレッリとヴェルディは偶然会った。メレッリは彼を強引に事務所に連れ、旧約聖書のナブコドノゾール王を題材にした台本を押し付けた。もうやる気の無いヴェルディは帰宅し台本を放り出したが、開いたページの台詞「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って (Va, pensiero, sull'ali dorate)」が眼に入り、再び音楽への意欲を取り戻した。 ソレーラに脚本の改訂を行わせ、作曲を重ねたヴェルディは1841年秋に完成させた。彼は謝肉祭の時期に公演される事に拘り、様々な準備を経て1842年3月9日にスカラ座で初演を迎えた。観客は第1幕だけで惜しみない賞賛を贈り、黄金の翼の合唱では当時禁止されていたアンコールを要求するまで熱狂した。1日にしてヴェルディの名声を高めたオペラ『ナブッコ』は成功を収めた。
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