青森運転所〈盛アオ〉
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「国鉄583系電車」の記事における「青森運転所〈盛アオ〉」の解説
東北本線全線電化完成による1968年10月1日ダイヤ改正を前に同年6月から青森運転所に84両(13両編成6本・予備車8両)が新製配置された。 編成出力は勾配区間を考慮して西日本地区の6M6Tから8M5Tに強化されたほか、9月9日からは「はつかり」に充当されていたキハ81系の改正に伴う転配ならびに改造日程などから、常磐線経由のまま前倒しで置換えられ、以下の列車に充当された。 特急「はつかり」 特急「ゆうづる」 特急「はくつる」 夜行「はくつる」上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」2往復上野 - 青森(東北本線経由) 1970年(昭和45年)10月1日ダイヤ改正 配置が132両(13両編成10本・予備車2両)となり増発が行われた。 夜行「はくつる」上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」2往復上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」3往復上野 - 青森(東北本線経由) 本増備分から制御車が将来の15両編成化を見越したクハネ583形となり、従来車も差し換え対象となったためにクハネ581形は南福岡区に転属となった。 早期落成車はこの年の8月に仙台 - 青森の臨時特急「とうほく」や常磐線経由で運転された「はつかり51号」に充当された。 ユニークな臨時列車への充当では、1972年(昭和47年)に北海道札幌市で開催された札幌オリンピックの輸送対象となった「オリンピア1号」がある。青函連絡船を挟んで連絡する函館 - 札幌は80系気動車による「オリンピア2号」と姉妹列車であったが、運転時間の関係で下りは夜行寝台、上りは昼行座席列車として運転された。 1972年(昭和47年)3月15日ダイヤ改正 配置が167両(13両編成12本・予備車11両)となり、大幅に運用増となった。 特急「みちのく」 特急「ひばり」2002年 リバイバル運転 夜行「はくつる」上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」3往復上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」3往復東京・上野 - 青森(東北本線経由) 「みちのく」上野 - 青森(常磐線経由) 「ひばり」上野 - 仙台(東北本線経由) 「みちのく」は「常磐はつかり」を定期化する形で、「はつかり」の補完列車的存在であった。また、上野口の間合い運用で「ひばり」1往復にも充当。「はつかり」は1往復が東京発着となったが、東海道新幹線ホーム増設工事のため、翌1973年(昭和48年)3月31日をもって再び上野発着に戻されている。 1975年(昭和50年)3月10日ダイヤ改正 南福岡区より13両編成1本が転入し総配置が180両となったが、予備車増強用のため定期運用に変化はない。寝台組立要員の不足から「ゆうづる」1往復が全車指定席の座席列車での運転に変更となったが、翌1976年(昭和51年)の3月に再び寝台列車に戻された。 1978年(昭和53年)10月2日ダイヤ改正 夜行「はくつる」上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」3往復上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」3往復上野 - 青森(東北本線経由) 「みちのく」上野 - 青森(常磐線経由) 上野口間合い運用の「ひばり」が485系に変更され消滅。また、翌1979年(昭和54年)10月1日のダイヤ改正でグリーン車の連結位置を183・189・485系と統一するため、6号車に変更した。 1980年(昭和55年)10月1日ダイヤ改正 夜行列車の需給見直しが行われ「ゆうづる」1往復が季節列車に格下げ。 夜行「はくつる」上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」3往復(うち1往復は季節列車)上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」3往復上野 - 青森(東北本線経由) 「みちのく」上野 - 青森(常磐線経由) 1982年(昭和57年)11月15日ダイヤ改正 東北・上越新幹線開業により、東北本線の昼行特急列車は軒並み廃止となり、「はつかり」は盛岡 - 青森に短縮され、新幹線連絡列車となった。 夜行「はくつる」2往復上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」3往復(うち1往復は季節列車)上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」2往復盛岡 - 青森 1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正 夜行「はくつる」2往復(うち季節列車1往復)上野 - 青森(東北本線経由) 「ゆうづる」上野 - 青森(常磐線経由) 昼行「はつかり」5往復盛岡 - 青森 この改正では、次の車両移動が発生した。 向日町所との間で、モハネユニット3組転出と、サロ1両転入の車両交換を行った。 編成から外されたサシ581形2両が2次利用目的のために仙台運転所に転属し、同年10月までに廃車となったが、他の12両は余剰休車となった。 サハネ581-51が盛岡工場でクハ418-1に改造され、金沢運転所(現・金沢総合車両所)に転出。 この結果、青森運転所の583系は配置174両・稼動車160両(12両編成13本・予備車4両)まで減少した。 「エキスポドリーム」 改正直前に485系転配措置の関係から「鳥海」(とき_(列車)#特急の誕生と急行の黄金時代、いなほ_(列車)#羽越本線優等列車の創始を参照)にも一時的に投入されたほか、同年茨城県で開催された国際科学技術博覧会(通称:つくば博・科学万博)の臨時輸送に投入され、臨時快速「エキスポライナー」や列車ホテルとした「エキスポドリーム」に充当された。 1986年(昭和61年)11月1日ダイヤ改正 定期運用列車に関しては変更はなかったものの基本編成が9両編成となり、多客期には青森方にモハネユニット+サハネの3両を組み込み対応する組成に変更となった。 またサハネ581形7両が札幌運転所に転出したほか、サシ581形全車と状態の悪い余剰車12両が廃車となった。この結果、配置両数が141両まで減少した。 青森運転所配置車編成 ← 上野 青森 → 1968年9月9日 - 1979年9月30日 クハネ583 サロ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サシ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ583 1979年10月1日 - 1986年10月31日 クハネ583 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サロ581 サシ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ583 1986年11月1日 - (9両基本編成) クハネ583 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サロ581 モハネ582 モハネ583 クハネ583 1986年11月1日 - (12両多客期増結編成[8M4T]) クハネ583 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サロ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ583 備考 表左側より1号車・2号車…13号車 クハネ583は1970年以前はクハネ581の場合あり
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