青森運転所〈盛アオ〉とは? わかりやすく解説

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青森運転所〈盛アオ〉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 21:38 UTC 版)

国鉄583系電車」の記事における「青森運転所〈盛アオ〉」の解説

東北本線全線電化完成による1968年10月1日ダイヤ改正前に同年6月から青森運転所84両(13編成6本・予備車8両)が新製配置された。 編成出力勾配区間考慮して西日本地区の6M6Tから8M5Tに強化されたほか、9月9日からは「はつかり」に充当されていたキハ81系改正に伴う転配ならびに改造日程などから、常磐線経由のまま前倒し置換えられ、以下の列車充当された。 特急はつかり特急ゆうづる特急はくつる夜行はくつる上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」2往復上野 - 青森東北本線経由1970年昭和45年10月1日ダイヤ改正 配置132両(13編成10本・予備車2両)となり増発が行われた。 夜行はくつる上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる」2往復上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」3往復上野 - 青森東北本線経由) 本増備分から制御車将来15編成化を見越したクハネ583形となり、従来車差し換え対象となったためにクハネ581形は南福岡区に転属となった早期落成車はこの年8月仙台 - 青森臨時特急とうほく」や常磐線経由運転された「はつかり51号」に充当された。 ユニークな臨時列車への充当では、1972年昭和47年)に北海道札幌市開催され札幌オリンピック輸送対象となったオリンピア1号」がある。青函連絡船挟んで連絡する函館 - 札幌80系気動車による「オリンピア2号」と姉妹列車であったが、運転時間の関係で下り夜行寝台上り昼行座席列車として運転された。 1972年昭和47年3月15日ダイヤ改正 配置167両(13編成12本・予備11両)となり、大幅に運用となった特急みちのく特急「ひばり」2002年 リバイバル運転 夜行はくつる上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる」3往復上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」3往復東京上野 - 青森東北本線経由) 「みちのく上野 - 青森常磐線経由) 「ひばり」上野 - 仙台東北本線経由) 「みちのく」は「常磐はつかり」を定期化する形で、「はつかり」の補完列車存在であったまた、上野口の間合い運用で「ひばり」1往復にも充当。「はつかり」は1往復東京発となったが、東海道新幹線ホーム増設工事のため、翌1973年昭和48年3月31日をもって再び上野発着戻されている。 1975年昭和50年3月10日ダイヤ改正 南福岡区より13編成1本が転入し配置が180両となったが、予備増強用のため定期運用変化はない。寝台組立要員の不足から「ゆうづる」1往復全車指定席座席列車での運転に変更となったが、翌1976年昭和51年)の3月に再び寝台列車戻された。 1978年昭和53年10月2日ダイヤ改正 夜行はくつる上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる」3往復上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」3往復上野 - 青森東北本線経由) 「みちのく上野 - 青森常磐線経由上野間合い運用の「ひばり」が485系変更され消滅また、1979年昭和54年10月1日ダイヤ改正グリーン車連結位置183189485系統一するため、6号車変更した1980年昭和55年10月1日ダイヤ改正 夜行列車需給見直しが行われ「ゆうづる」1往復季節列車格下げ夜行はくつる上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる」3往復(うち1往復季節列車上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」3往復上野 - 青森東北本線経由) 「みちのく上野 - 青森常磐線経由1982年昭和57年11月15日ダイヤ改正 東北・上越新幹線開業により、東北本線昼行特急列車軒並み廃止となり、「はつかり」は盛岡 - 青森短縮され新幹線連絡列車となった夜行はくつる」2往復上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる」3往復(うち1往復季節列車上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」2往復盛岡 - 青森 1985年昭和60年3月14日ダイヤ改正 夜行はくつる」2往復(うち季節列車1往復上野 - 青森東北本線経由) 「ゆうづる上野 - 青森常磐線経由昼行はつかり」5往復盛岡 - 青森 この改正では、次の車両移動発生した向日町所との間で、モハネユニット3組転出と、サロ1両転入車両交換行った編成から外されサシ581形2両が2次利用目的のために仙台運転所転属し、同年10月までに廃車となったが、他の12両は余剰休車となった。 サハネ581-51が盛岡工場でクハ418-1に改造され金沢運転所現・金総合車両所)に転出。 この結果青森運転所583系配置174両・稼動車160両(12編成13本・予備車4両)まで減少した。 「エキスポドリーム改正直前485系転配措置の関係から「鳥海」(とき_(列車)#特急の誕生と急行の黄金時代、いなほ_(列車)#羽越本線優等列車の創始参照)にも一時的に投入されたほか、同年茨城県開催され国際科学技術博覧会通称つくば博科学万博)の臨時輸送投入され臨時快速エキスポライナー」や列車ホテルとした「エキスポドリーム」に充当された。 1986年昭和61年11月1日ダイヤ改正 定期運用列車に関して変更はなかったものの基本編成が9両編成となり、多客期に青森方にモハネユニット+サハネの3両を組み込み対応する組成変更となった。 またサハネ581形7両が札幌運転所転出したほか、サシ581全車と状態の悪い余剰12両が廃車となった。この結果配置両数141両まで減少した青森運転所配置編成上野 青森1968年9月9日 - 1979年9月30日 クハネ583 サロ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サシ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ583 1979年10月1日 - 1986年10月31日 クハネ583 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サロ581 サシ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ583 1986年11月1日 - (9両基本編成) クハネ583 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サロ581 モハネ582 モハネ583 クハネ583 1986年11月1日 - (12両多客期増結編成[8M4T]) クハネ583 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サロ581 モハネ582 モハネ583 モハネ582 モハネ583 サハネ581 クハネ583 備考左側より1号車2号車13号車 クハネ583は1970年以前はクハネ581場合あり

※この「青森運転所〈盛アオ〉」の解説は、「国鉄583系電車」の解説の一部です。
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