特急の誕生と急行の黄金時代
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「とき (列車)」の記事における「特急の誕生と急行の黄金時代」の解説
1962年(昭和37年)6月10日:信越本線の長岡駅 - 新潟駅間の電化が完成し、上野駅 - 新潟駅を高崎線・上越線・信越本線経由で運行する上越線初の特急列車として「とき」が運転開始。これにより上野駅 - 新潟駅間は4時間40分に短縮。また「ゆきぐに」2往復のうち1往復を新潟駅まで延長するとともに80系電車(一部編成内に戦前形のクハ47形・サハ48形を混用)のまま急行に格上げ、「弥彦」に改称。「とき」を運行するにあたり、山岳区間に対応した161系電車を新造。ヘッドマークには「朱鷺」の漢字が添えられた。 1963年(昭和38年)1月:上り急行「越路」が豪雪による吹雪の中で立往生。上野着は6日後となり、前代未聞の列車遅延(106時間31分延)となった。 1月24日:下り「とき」が豪雪のため三条駅で足止めとなり、翌日開通した上り線を新津駅まで逆行運転するなどして新潟駅に20時間10分遅れで到着した。 1月25日 - 2月17日:豪雪により「とき」運休。 3月26日:下り「弥彦」と上り「佐渡」は165系電車による運転を開始。 6月1日:1往復残っていた「ゆきぐに」が急行に格上げ(格上げ直前および長岡駅発着時代最末期のごく短期間のみ165系急行編成と同一の編成を使用)され、新潟駅まで延長。同時に電車夜行急行の「越後」が運転開始。それまで座席・寝台両方を連結していた客車夜行急行であった「越後」は、寝台車中心の編成となり急行「天の川」と改称。また「弥彦」「佐渡」「越路」「ゆきぐに」「越後」の使用車両を165系電車に統一。 1964年(昭和39年)6月16日 - 6月26日:新潟地震の影響により、「とき」などは運休になる。 1965年(昭和40年)3月:「とき」は2往復となる。 10月1日:越後湯沢駅 - 新潟駅間に電車準急「ゆざわ」が、上野駅 - 秋田駅間に気動車急行「鳥海」が運転開始。また電車急行でも「弥彦」「越路」「ゆきぐに」を「佐渡」に統合し、それまでの「越後」を「越路」に改称する列車名の整理が行われ、ビュッフェ車1両が座席車に置換。 1966年(昭和41年)3月10日:「ゆざわ」が急行に格上げ。 10月:「とき」が3往復に増発。 1967年(昭和42年)10月1日:上越線の全線複線化に伴うダイヤ改正が行われ、各列車のスピードアップが図られた。また、「とき」のうち1往復が東京駅へ乗り入れ。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、次のように変更。「とき」は季節列車2往復が新設。 「佐渡」は夜行の「越路」を統合した上で2往復増発され、8往復になる。 「ゆざわ」は、越後湯沢駅 - 小出駅間が普通列車になる。 「北陸」は上野駅 - 福井駅間の季節列車1往復が増発され、2往復になる。 「鳥海」はそれまでの夜行急行「羽黒」なども統合して、昼行1往復・夜行2往復になる。
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