長澤芸術の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/03 16:26 UTC 版)
長澤は自分の芸術が他の何よりもイデアに発するものであることを一貫して公言してきた。実際、作品から感じ取られる彼の制作の特徴は、人々の日常生活や自然界や宇宙の時空間に遍在し、それらすべての存在を根拠づけ、秩序づけているものでありながら、人々が容易には気付かないでやり過ごしてしまっている深奥の原理(イデア)を捕捉すること、と同時に、その宇宙的原理が的確に知覚され感受されるのに最もふさわしい物質的素材と空間的条件を吟味し、かつそれに必要不可欠な人間的(生物的)・工学的技術を活用すること、として要約できるだろう。この1点において、長澤の制作は、1960年代末のたぶんに概念的な手法を駆使したオブジェ、映像、パフォーマンスから、1971年の≪車輪≫、≪オフィールの金≫、1972年≪柱≫等に始まるさまざまな素材を駆使した彫刻的興趣と凝密度の高い諸作品、1970年代末からの紙による作品、80年代以降の現実空間や公共施設に進出して展開した驚くべき工夫のかずかず、そして前述した庭園様の作品に至るまで、変わることがなかった。素材、様式、スケール等は類のない多様性を示してきたのに、イデアに発する芸術としての根本の性格は信じがたいほどの一貫性を保ってきたのである。たとえば、1991年の≪アルキメデスのコンパス≫以降、≪電光≫、≪天空の井戸≫などで幾度となく応用されてきた重力反転の隠れたメカニズムは、最も早い時期、上記の≪車輪≫や1969年の≪ピラミッドの頂点≫の制作に彼を駆りたてた「見えない核心の原理」の捕捉ということと同じ関心の産物なのである。 ここで見落とせないのは、長澤にとってイデアとは理性の別名ではなく、理性で捕らえるべきものですらないということである。イデアを最重視するとはいえ、長澤の中でつねに考慮されているのは、イデアと物質と技術のバランスのとれた共存であり協働である。素材としての物質や、発想にいつも寄り添う色や匂いや記憶の要素に対して、長澤ほど深い理解と関心を寄せる芸術家は少ない。長澤は本質的にカントではなくゲーテの末裔なのだ。たとえば、イデアと物質が分かちがたく働き合うとき、その結合の必然性はしばしば特定の色や匂いといった感覚を呼び覚まし、逆にそれら感覚によって呼び覚まされる。そのような研ぎ澄まされた感覚の覚醒は、分析的な頭脳が働くときの理性の支配する覚醒とは違って、イデアと物質、主観と客観、現象と記憶、物と技術等がまだ分離し対立するに至る以前の時点、したがって、眠りと目覚めがまだ分離していない状態での覚醒と考えられる。長澤がイデアの訪れに最も適した条件としてしきりに言及する「ドルミヴェリア」(dormiveglia夢うつつ)とは、そのように、イデアと物質と技術とが色や匂いや響きを催して、分かちがたく、かつ明瞭に感受される事態、宇宙と自然界と生命世界を律する真理が理知的弁別に先だって直接経験(直感)される事態なのであろう。ヨーロッパの同業者や批評家たちが、長澤の作品の奥に禅的なものの素養を感じると告白するのは、その意味ではけっして的外れではない。長澤がしばしば作品に蜜蝋を用いるのは、蜜蝋がミツバチという生命体の行使する理性以前の超個体的な技術の産物だからであり、また、その独特の匂いが物質と生命体の技術との分かちがたい境を満たしていることに、深く(論理以前に)感応しているからと思われる。また、長澤がある種の花の色や香りに特別な関心を寄せるのは、その色や香りが彼の幼年期の記憶と現在の知覚とを夢うつつの中でのように結びつけているからであろう。ちょうど、トルコにたどり着いた26歳の長澤が、ラジオから流れるモーツァルトの響きを耳にしたとたん、彼の体内で東洋と西洋とが分かちがたく結びついていたことを悟ったように。イデアと物質と技術とがそのような混融状態で活性化することを大切にする長澤は、当然のことながら、それら三者が分離して重く知覚されることを避け、作品が浮遊するがごとき「軽味」を発揮することをもって芸術の醍醐味としている。実際、途方もない物量と技術的工夫を投入したはずの彼の作品を前にして、人々は少しも渋滞や鈍重の印象を受けることはなく、イデアが説明的に押しつけられるように感じることもなく、妙なる楽音のいわく言いがたい響きに満たされたような自由と必然性を感得するのである。
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