軍旗の奉焼等とは? わかりやすく解説

軍旗の奉焼等

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 18:10 UTC 版)

軍旗」の記事における「軍旗の奉焼等」の解説

近衛後備歩兵第1連隊1904年6月15日に奉焼。翌年6月28日に再授与日露戦争下の1904年明治37年6月15日常陸丸事件ロシア帝国軍鹵獲されることを防ぐために連隊長須知源次郎陸軍歩兵中佐が奉焼させた。同年6月28日に「曩ニ近衛後備歩兵第一聯隊授与シタル軍旗玄界灘ニ於テ聯隊長戦死ノ際焼棄セシニ由リ更ニ此軍旗一旒ヲ授ク」という勅語とともに授与された。 歩兵第49連隊1906年10月2日失火により焼失同年12月14日に再授与北韓警備当たっていた1906年明治39年10月2日火災によって連隊長室ともに焼失する旅団長5日連隊長太田朗陸軍歩兵中佐及び連隊旗手は軽謹慎30日連隊長代理及び週番司令は軽謹慎25日連隊少佐及び連隊副官は軽謹慎20日処分受けた。なお、軽謹慎処分懲罰処分であって軍法会議かけられわけではない同年12月14日に「曩ニ歩兵第四十九聯隊授与シタル軍旗不慮ノ災ニ罹リ亡失セシニヨリ更ニ此軍旗一旒ヲ授ク」という勅語とともに授与される歩兵第64連隊1939年8月29日に奉焼)ノモンハン事件下の1939年昭和14年8月29日ソ連軍包囲され脱出が困難となったため、連隊長山県武光陸軍歩兵大佐軍旗を奉焼させた。 歩兵第71連隊1939年8月30日に奉焼)ノモンハン事件下の1939年8月30日ソ連軍包囲され脱出が困難となったため奉焼した。連隊長先に戦死していた。 歩兵第170連隊1942年11月16日に海没)1942年昭和17年11月16日パラオ沖でアメリカ海軍潜水艦雷撃により輸送船とともに没する連隊長再三再交付申請も、大本営参謀辻政信により、連隊解散激戦地への所属兵員配置懲罰的行われ再交付されなかった。帝国陸軍史上前代未聞軍旗海没事例であった歩兵第28連隊1942年8月21日に奉焼)ガダルカナル島の戦い下の1942年8月21日午後3時ガダルカナル島で奉焼。連隊長一木清直陸軍大佐自決日本側の戦闘詳報)。その後証言により軍旗埋没処理と判明している。 歩兵第29連隊1942年10月1945年9月ガダルカナル島の戦い下の1942年10月頃、埋没処理を行う。連隊長古宮正次郎陸軍大佐自決連隊再建後1944年1月31日に再授与終戦時仏印ビエンホア付近で奉焼。 歩兵210連隊1944年4月26日に海没)1944年昭和19年4月26日バシー海峡アメリカ海軍潜水艦雷撃により輸送船乗船中の連隊長小池安正陸軍大佐とともに没する再交付されなかった。 歩兵第118連隊1944年7月4日に奉焼)サイパンの戦い下の1944年7月4日サイパン島で奉焼。連隊長伊藤豪陸軍大佐先に戦死していた。 歩兵135連隊1944年7月4日に奉焼)サイパンの戦い下の1944年7月4日サイパン島で奉焼。連隊長鈴木栄助陸軍大佐先に戦死していた。 歩兵136連隊1944年7月4日に奉焼)サイパンの戦い下の1944年7月4日サイパン島で奉焼。連隊長小川陸軍大佐歩兵第38連隊1944年7月21日に奉焼)グアムの戦い下の1944年7月21日夜、グアム島で奉焼。連隊長末長太郎陸軍大佐以下玉砕した歩兵第18連隊1944年7月25日夜に奉焼)グアムの戦い下の1944年7月25日夜、グアム島で奉焼。連隊長大橋彦四郎陸軍大佐以下玉砕した歩兵第50連隊テニアンの戦い下の1944年8月2日テニアン島で奉焼。連隊長緒方敬志陸軍大佐以下玉砕した歩兵第33連隊レイテ島の戦い下の1944年10月22日レイテ島で奉焼。連隊長鈴木辰之助陸軍大佐以下玉砕した歩兵第9連隊1944年10月頃に奉焼)レイテ島の戦い下の1944年10月頃、レイテ島で奉焼。連隊長神谷保孝陸軍大佐 歩兵第20連隊1944年10月頃に奉焼)レイテ島の戦い下の1944年10月頃、レイテ島で奉焼。連隊長鉾田次郎陸軍大佐歩兵第2連隊1944年11月24日夜に奉焼)ペリリューの戦い下の1944年11月24日夜、奉焼。連隊長中川州男陸軍大佐自決連隊残存将兵万歳突撃により玉砕した歩兵145連隊1945年3月14日に奉焼)硫黄島の戦い下の1945年昭和20年3月14日硫黄島で奉焼。連隊長池田増雄陸軍大佐以下玉砕した歩兵第22連隊1945年6月24日頃に奉焼)沖縄戦下の1945年6月24日頃、沖縄南部で奉焼。連隊長吉田陸軍大佐以下玉砕した歩兵第89連隊1945年6月24日頃に奉焼)沖縄戦下の1945年6月24日頃、沖縄南部で奉焼。連隊長金山陸軍大佐以下玉砕した歩兵278連隊1945年8月16日に奉焼)ソ連対日参戦下の1945年8月16日ソ連軍包囲されたため奉焼。連隊玉砕した歩兵第32連隊1945年8月28日奉焼)沖縄戦において、6月23日の第32軍司令部壊滅後も戦闘継続していた歩兵第32連隊は、終戦によりアメリカ軍投降する前日軍旗を奉焼した。連隊長北郷格郎陸軍大佐歩兵第6連隊1945年8月23日黎明、奉焼)金牛鎮の丘の上連隊長連隊旗手、連隊副官軍旗旗護兵、軍旗小隊一部見守る中、宮城遥拝後に爆薬用いて爆発させて、奉焼した。軍旗を奉焼したその日、各大隊東方遥拝軍旗に対して抜刀着剣捧げ銃の礼をし、「海行かば」を斉唱訣別式を実施した歩兵第10連隊1945年9月16日夜明、奉焼)フィリピン北部ルソン山岳、バラングアグの丘陵にて、最後別れ告げてから将兵捧げ銃の中で奉焼した。 歩兵第113連隊1944年9月諸説ある 1.7日夕大尉最後切込みの際に襷掛けにした。(上等兵目撃した。) 2.7日 大尉が横股陣地の中で奉焼した。 3.6日夜 大尉の腹に巻き紋章音部山と西山の間に埋めた。(大尉から中尉聞いた) 歩兵148連隊1944年9月11日9時奉焼)騰越戦いにて玉砕直前に『涙とともに奉焼』

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