足助市街地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 13:57 UTC 版)
足助川下流域両岸に発達した河岸段丘上には商店街が連なる足助市街地があり、足助町のみならず足助地区・旧東加茂郡・奥三河全体の中でも突出した商業地域となっている。江戸時代より繁栄を続けていた足助川左岸の西町(にしまち)、足助川右岸の新町(しんまち)、本町(ほんまち)、田町(たまち)があり、明治時代以降には田町の東に新田町(しんたまち)が開発され、宿場の西隣の宮町(みやまち)は国道153号沿いに市街化した。また、足助大橋の西側には松栄町(しょうえいちょう)があって小規模な集落を構成している。昭和30年代には今朝平地区と中之御所地区が統合されて親王町(しんのうちょう)が誕生している。 松栄町 足助市街地の中では最も西方にあり、名古屋・岡崎方面からは国道153号にかかる足助大橋の手前、巴川右岸に位置する。該当する字は成瀬、狭石、細洞。国道153号沿いには食品スーパー「パレット」、コンビニエンスストア、ガソリンスタンド、新聞店、仏壇店、材木店などの商店が建ち並ぶ。巴川にかかる足助記念橋を渡った対岸(岩神町)には足助病院、愛知県立足助高等学校、足助警察署などが立地し、近隣にはかつて香嵐渓ヘビセンター・スケート場・温泉保養施設といった周年型観光施設もあった。 宮町 名古屋・岡崎方面からは国道153号にかかる足助大橋を越えたところに位置する。該当する字は宮ノ後、宮平。かつての伊那街道は当街区には通じておらず、足助八幡宮が鎮座する他は田畑の広がる農村集落であったが、現在では足助八幡宮の隣に1958年(昭和33年)に当地に移転した豊田市役所足助支所が立地し、右手には香嵐渓への入り口として、水田をつぶして造成した大規模な駐車場や香嵐渓観光センター、その他土産物店、飲食店などが立地している。 西町 足助川左岸にあり、該当する字は西町・蔵ノ前。名古屋・岡崎方面から進むと、宮町を越え、国道153号にかかる巴橋を渡り終えたところに香嵐渓交差点があるが、ここは観光シーズンには最も渋滞を来す地点であると共に、誘導灯と駐車料金の札を手にして私敷地内の臨時駐車場へ誘う地元住民の姿が頻繁に見られる界隈でもある。この交差点の隅には1799年(寛政11年)に建立された常夜灯があり、元々本町の地蔵堂にあったものが後年ここに移設されたといわれる。宮町の駐車場からの観光客はここから足助市街に入っていくのが一般的であるが、かつての伊那街道では街区北部の落合橋が足助宿の出入口であった。宿場町における宿屋や芝居小屋のような遊興施設は一般的に宿場の出入口付近に多くあり、この西町でも明治時代から大正時代にかけて7件の宿屋があったといわれ、夕暮れ時の落合橋では宿泊客の争奪戦が行われていたとの逸話も残る。江戸時代末期より現在まで残っている宿屋は「玉田屋旅館」のみである。その他、洋食店・釣具店・マッサージ店・生花店などの個人商店が並ぶ。公共施設としては、明治時代中期に建てられた渡辺医院の旧建家は「塩の道づれ家」という地域活性化施設として生かされ、1886年(明治19年)に建てられた足助警察署の建家は現在足助商工会となっている。また蔵ノ前には豊田市生涯学習センター足助交流館、足助トレーニングセンターなども立地している。街区の東寄りには1845年(弘化2年)建立の道標が伊那街道と鳳来寺道の分かれ道に立ち、「右ほうらいじ道 左ぜんこうじ道」とある。 新町 該当する字は新町・落合。西町より足助川にかかる中橋を越えると、足助川右岸の新町に入る。愛知県道366号小渡明川足助線沿いに商店が並んでおり、「マンリン(萬林)書店」をはじめ、代々大津屋甚右衛門が営む「風外」(現在は和菓子屋)、雑貨屋・飲食店・クリーニング店・仏壇店などの個人商店が建ち並ぶほか、曹洞宗普光寺がある。マンリン書店の脇にある宗恩寺参道は「マンリン小路」と呼ばれ、両側から迫るような土蔵と石垣に挟まれた下見坂の様子が特徴的な景観をなしている。 本町 該当する字は本町。新町の東隣にあり、街道に面する商店街は連続している。当街区と東隣にある田町の境界付近が足助市街地の中心部であり、商店数も多い。江戸時代後期の加茂一揆の際に打ちこわしの標的にされ床柱に刀傷が残るという「かゑで加東家」、1815年(文化12年)築で足助町家の特徴的なたたずまいを色濃く伝える「白久(はくきゅう)商店」、同じく江戸時代後期の建家が残る和菓子屋「両口屋」、その他写真館、精米所、自転車店、洋品店、美容院などの個人商店が建ち並ぶ。また個人住宅では連続する妻入家屋、旧紙屋住宅、ほかに本町区民館、足助郵便局など、伝統的な建築技法に拠った建造物が数多くひしめき合っている。 田町 該当する字は田町。本町の街道は東端で鍵形に折れ、別名銀座とも呼ばれる田町商店街へと続く。本町と同様に商店数が多く、商店密度も高い。かつて足助塩問屋の筆頭として栄え現在では豊田市指定有形民俗文化財に指定されている莨屋(たばこや)、愛知県指定有形文化財に指定され現在は資料館になっている旧稲橋銀行足助支店社屋など、歴史的に価値の高い家屋も多く立地している。他に、安政年間築造の建家で営まれている名古屋牛乳足助販売所、豊田信用金庫足助支店、JAあいち豊田足助支店、洋品店、美容院、生花店、陶器店、酒店、精肉店、飲食店などの個人商店が建ち並ぶ。JAあいち豊田足助支店の前には大きな鳥居がそびえており、ここから稲荷神社への参道が続いている。 新田町 該当する字は石橋・岩崎。明治時代以降に開発された商店街であり、漬け物・履き物店、衣料品店、印刷店、家具店などが立地している。足助川沿いには、かつて足助宿を代表する醸造業の御用商人であり、大庄屋として政治・経済の実権を代々受け継いできた小出家がある。 親王町 足助市街地の中では最も東方にある。今朝平交差点で国道153号と分岐し、桑田和町に抜けるまでの愛知県道33号瀬戸設楽線沿いに街区が展開される。豊田加茂建設事務所足助支所のほか、豊田市保健所、シルバー人材センターなどの公益施設、観光・福祉総合施設である「百年草」、また農林業施設、葬祭施設、体育施設といった官民の大規模施設が点在し、個人商店はほとんど見あたらない。 西町(2019年(令和元年)6月) 西町の常夜灯(2018年(平成30年)7月) 新町(2012年(平成24年)3月) 新町のマンリン書店(2019年(令和元年)11月) 本町(2012年(平成24年)3月) 本町の白久商店(2018年(平成30年)7月) 田町(2012年(平成24年)3月) 新田町(2019年(令和元年)6月) 新田町の山城屋旅館(2019年(令和元年)11月)
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