語源・歴史
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「ダ・カーポ (演奏記号)」の記事における「語源・歴史」の解説
イタリア語の capo は英語の head に相当し、体の一部としての「頭」を意味するほか、物事の「冒頭」「はじめ」を表す。また、da は英語の from に相当する前置詞で、これらを合わせると、da capo = from head、すなわち「頭から」という意味になる。Da Capo とは楽譜の先頭に戻って演奏することをイタリア語で指示したものである。 バロック音楽では多用されたが、古典派の時代から徐々に、楽譜の一区間をそのまま繰り返すことよりも、変奏や展開を盛り込んだ多様な音楽の変化・進展をより求めるようになったため、同じ楽句を繰り返して使用するためのこの記号が用いられることは次第に少なくなっていった。ロマン派以降は更に用いられることが減ったが、ポピュラー音楽においては現在でもよく使われる一般的な記号である。
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語源・歴史
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イタリア語の dal は da + il が結合したもので英語の from + the に相当する。また、segno は英語の sign (印)を意味する。これらを合わせると、dal segno = from the sign、すなわち「印から」という意味になる。Dal Segno とは目印の箇所から演奏することをイタリア語で指示したものである。 クラシック音楽においては、古典派音楽の時代から徐々に、楽譜の一区間をそのまま繰り返すことを嫌い、音楽の進展をより求めるようになったため、この記号が用いられることは少なくなった。ロマン派以降は現代まで滅多に見かけることがないものであるが、ポピュラー音楽においては現在でもよく用いられる一般的な記号である。
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語源・歴史
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ヨーロッパのキリスト教圏でロザリオに使用される数珠玉について、アングロサクソン語のbiddan(祈る)、bede(祈る人)から変化して呼ばれるようになったのが語源という説がある。 装身などに用いる穴の空いた玉自体はそれ以前から、世界各地にあった。古代インダス文明では、紅玉髄製ビーズの製造が盛んに行われ、樽型ビーズをはじめとしてメソポタミアにも輸出された。高い加工技術を要するマイクロビーズも作られていた。また、古代エジプトでは先王朝時代(紀元前5500年頃)には自然石に穴を開けて紐でつないだ装飾品があったことが数多くの埋葬例からわかっている。当初は自然石をそのまま穿孔して使用していたが、次第に石を研磨して成形するようになった。さらに王朝時代成立前の紀元前4500年頃にはファイアンスと呼ばれる石英粉で様々な形のビーズを作るようになった。 奴隷貿易の際に貿易品としてアフリカ大陸に渡ったビーズはトレードビーズ(英語版)と呼ばれる。 1900年代初頭までに作られたビーズは、アンティークビーズ、ビンテージビーズと呼ばれる。ガラスの加工技術が現在と異なり、独特の風合いのあるビーズが生産された。また、プラスチック(ルーサイト)の加工技術が確立された時期にも当たるため、現在の感覚ではキッチュに見えるデザインのプラスチックビーズが大量に生産された。 日本では大正時代末に婦人雑誌などで紹介されて流行した。1926年に出版された『ビーズ手芸全書』が日本初の本格的な参考書である。 21世紀に入ってからの流行の推移としては、スワロフスキー全盛期を経て、現在はビンテージビーズなどのヨーロッパのビーズや天然石ビーズが、現代の工業生産されたものと違いひと粒ずつが個性を持っているとして人気を集めている。
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語源・歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 16:14 UTC 版)
「フマニタス(羅: humanitas)」という概念は、既に古代ローマ時代にあり、ローマ市民が学ぶべき教養として理解されていた。これが中世においては、大学で教授される自由七科(教養学科)へと受け継がれた。こうした古典の研究は、特に14世紀後半以降フマニタス研究 (Studia humanitatis) と呼ばれ、その研究者は人文主義者(ユマニスト、ヒューマニスト)と呼ばれ始めた。 14世紀イタリアのペトラルカ以降、古典古代(ギリシア・ローマ)への関心が高まるルネサンス期になると、スコラ学的なアリストテレス哲学に基づく論理体系に対して、キリスト教以前の古代のギリシア・ローマの詩歌、歴史、修辞学の中に倫理の源泉を見いだそうとする動きが生じた。この点で、カトリックに対する人間中心主義とも言われるが、論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけで、キリスト教そのものを否定したわけではないし、必ずしもカトリックとの対立を伴ったわけでもなかった。古典研究に根ざした、教養ある人士の生き方、生活様式が人文主義者(ユマニスト)の身上とされた。
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