解剖存真図とは? わかりやすく解説

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解剖存真図(南小柿寧一筆)

主名称: 解剖存真図(南小一筆
指定番号 122
枝番 0
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 2巻
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文:  「解剖存真図」は、江戸時代後期医師南小寧一(一七八五?~一八二五)が作成した人体解剖図集である。寧一は、名は甫祐【ほゆう】、字は清人せいじん】、西崖【せいがい】と号し幕府奥医師桂川甫周ほしゅう】に師事して外科修め、淀・稲葉藩に医師として仕えた
 本図乾坤けんこん二巻からなる
 乾巻は、冒頭桂川甫賢【ほけん】(国寧【くにやす】)が序文寄せる。それによると寧一は、京都医師小石元俊げんしゅん】(一七四三一八〇八)による解剖成果不十分な点を補うことを意図し多く西洋解剖図参照して編纂行い二巻の図にまとめあげたという。次に、寧一自身による文政二年(一八一九十月の「附言【ふげん】」があり、編纂の経緯解剖用いた器具について説明加えている。二つ序文余白には、この図を見たシーボルト(P.F. von Siebold)が短い賛辞書き込んでいる。その後に「剥頭皮見脳」(とうひをはぎてのうがいをみる)から「支体全骨」(したいのぜんこつ)まで、説明付した四三図の解剖図収める
 坤巻は、「身断首痕」(みのだんしゅのあと)から「胞衣臍帯連属」(えなとさいたいれんぞく)までの四〇図を収めるその後解剖図四図を載せるが、これには文政五年の年記があり、全体成立した後に挿入されたものである。図の多くは、寧一の実見に基づく彩色図であるが、一部はヘイステル(Lorenz Heister)、パルヘイン(Jean Palfyn)等の洋書収録された図を無彩色転載し出典記している。
 坤巻末諸家跋文ばつぶん】を載せる。まず大槻玄沢【げんたく】が漢文の跋を、次いで宇田川玄真げんしん】と杉田立卿りゅうけい】(玄白の子)がそれぞれオランダ語で跋を寄せる。さらに大槻玄幹【げんかん】(玄沢の子、茂禎【しげたか】)と玄沢の弟子一関藩医師佐々木中澤ちゅうたく】がそれぞれ漢文の跋を加え本図制作優秀なことを表している。寧一はこのような解剖図作成業績認められ、玄沢が編纂した重訂解体新書じゅうていかいたいしんしょ】』の附図をのちに描いている。
 本図には西尾市立図書館岩瀬文庫東北大学狩野文庫京都大学附属図書館武田科学振興財団写本存在知られているが、狩野文庫本奥書には「此軸桂川賢所也、偶請而與晝友佐喃山計摸之、于時天保十三壬寅六月 敬蘭堂」とあり、本図を甫賢が所蔵していたことが確認される収納箱の裏書によれば大正十四年(一九二五)に慶應義塾所蔵となっている。
 江戸時代医学は、山脇東洋やまわきとうよう】の『蔵志【ぞうし】』刊行宝暦九年=一七五九)や杉田玄白前野良沢りょうたく】等の『解体新書』翻訳安永三年一七七四)のように、解剖学の成果導入してその実証性を高めていった。そのため、江戸時代後期には、多く医学者解剖実施し解剖図作成した。「解剖存真図」は、その中で総合性と正確さにおいて優れ江戸時代における実証的解剖図到達点を示している。わが国医学発達史一里程をなす重要な資料である。


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