蝦夷三官寺等澍院関係資料
主名称: | 蝦夷三官寺等澍院関係資料 |
指定番号: | 137 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 2005.06.09(平成17.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 16点 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 蝦夷三官寺の一に位する等澍院は、襟裳岬近くのサマニ(現様似町)に建立された天台宗の寺院である。帰嚮山厚澤寺等〓院と号し、ユウフツ(現苫小牧市)からホロイズミ(現えりも町)までを布教範囲とする。襟裳岬付近の百人浜に一字一石塔を有したほか寺院地に東照宮を勧請したことでも知られる。等〓院は明治維新後、明治十八年(一八八五)には廃寺となった関係もあって(明治三十年再興)、等〓院が今日に伝存する文化財の数は多くはない。 しかし文書・記録類に含めた『等〓院住職記』を中心とする一連の等〓院住職記一二冊は、時期的には享和二年(一八〇二)の記事から始まり文久元年(一八六一)までの記録を収める。蝦夷地寺院史のみならず、幕府の蝦夷地政策を知る資料として、また、三官寺間の連絡などを含み、蝦夷地の状況を知る資料として貴重である。 また、『等〓院什物記』は文化五年(一八〇八)に役僧禅境により作成されたものであるが、その内容は初代住職であった秀暁が整えた什物の目録である。これにより創建時の等〓院の姿を知ることができる。また版本の『過福訓』は善光寺の刊本であるが、現在のところ等〓院でしか見ることができない。このほか百万遍の念珠は布教範囲内にある場所で働く出稼ぎ者たちに利用されたという。 以上のように、等〓院関係資料は数こそ多くはないが、蝦夷三官寺の上座として残した記録類は三官寺のみならず蝦夷地寺院史研究の資料としてきわめて貴重である。 |
歴史資料: | 蘇言機 蝦夷三官寺善光寺関係資料 蝦夷三官寺国泰寺関係資料 蝦夷三官寺等澍院関係資料 西大寺版板木 角屋家貿易関係資料 解剖存真図 |
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