西大寺版板木
主名称: | 西大寺版板木 |
指定番号: | 76 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1995.06.15(平成7.06.15) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 124枚 |
時代区分: | 鎌倉~江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 西大寺は、鎌倉時代に僧叡尊が入寺し、戒律復興の中心道場としてから大いに興隆した。叡尊は戒律の講説を精力的に行うとともに、戒律関係書の撰述を多数行った。 当寺での開版事業は叡尊の入寺とともに開始されたようで、鎌倉時代が最盛期であったが、その後も行われ江戸時代まで続いた。当寺にはこれらの印刷に用いた板木が伝えられており、そのなかには刊記の部分が残っているものが比較的多いため、刊行の経緯を知ることができる。 鎌倉時代の板木では、叡尊が撰述し、弟子の快実が開版のため正応元年(一二八八)宋人に書写させた『金光明最勝王経科文』六枚や、叡尊が文永十一年(一二七四)夏から建治二年二月(一二七六)の間に撰述した主著『梵網経古迹記輔行文集』一五枚などがある。このほかにも叡尊著作として、弘長四年(一二六四)正月撰述の『応理宗戒図』二枚、文永七年十一月撰述の『大乗入道次第科文』一枚、文永八年十二月撰述の『勧発菩提心集科文』四枚があり、そのほかの刊記を逸している板木も、叡尊が作成することの多かった科文の形態を取るものが多いので、その関与が推定される。叡尊は戒律の宣揚広布を大々的に行うため、印刷を有効な手段として積極的に取り入れたものと考えられる。 江戸時代の板木は、明暦元年(一六五五)五月に法隆寺観音院法印高栄が寄進した『金光明最勝王経』板木(全六〇枚完存)などがある。 附とした『大乗入道次第科文』一帖と『金光明最勝王経大科』一帖は現存の板木で印刷されたもので、前者の紙背には文保元年(一三一七)十二月八日の文書などがあり、鎌倉後期の印刷である。後者には天文十四年(一五四五)五月の西大寺住持高珠の摺写寄進奥書があり、かなり後にも板木が使用されたことが知られる。 西大寺の板木は、寺院の教学活動の上で印刷の効用を十分理解し、活用したもので、また叡尊撰述書の刊行は、著者生前に著作が刊行された早い例である。日本の出版が経典等から個人の著作へ移行する最初期のものとして意義が深く、わが国の印刷文化・技術史上の価値がある。 |
歴史資料: | 蝦夷三官寺善光寺関係資料 蝦夷三官寺国泰寺関係資料 蝦夷三官寺等澍院関係資料 西大寺版板木 角屋家貿易関係資料 解剖存真図 調布 |
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