蝦夷三官寺国泰寺関係資料とは? わかりやすく解説

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蝦夷三官寺国泰寺関係資料

主名称: 蝦夷三官寺国泰寺関係資料
指定番号 138
枝番 0
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 832
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: アッケシ(現厚岸町)に建立され国泰寺は、ビロウ(現広尾町)から現在の十勝支庁釧路支庁根室支庁およびクナシリエトロフまでを布教範囲とする禅宗鎌倉五山派)の寺院で景運山国泰寺と号する
 文書・記録類の中では、歴代住職書き残し、かつ編修した『日鑑記三六冊が古くからよく知られており、研究蓄積少なくない。『日鑑記』は大別する日常記録すなわち寺務日記と、事件記録書簡集からなる寺院経営様子会所との関わりアイヌ人びととの交渉日常接触異国一件などを知る好資料としてつとに有名である。特にクナシリメナシアイヌ蜂起に際して蜂起軍を説得することで事件終結させた人物の一人アッケシの長イコトイがいるが、そのイコトイ死亡年がこの記録から知ることができる。有名なアイヌ長の死亡年が判明する例はきわめて稀である。
 初代住職の文翁は国泰寺赴任に際して数多く仏典持ち込んでいる。その書目は『景運山什具所収の「御寄書籍目録」で知ることができるが、著録書籍のうち三九件が現存し五箇本箱納められている。また、黄檗版鉄眼版般若経〇〇巻のうち四五〇巻余を伝存しており、それぞれの経巻寄進者名(これは会所勤番であったり、場所の労働者であったりするが)が記されている。身分問わず往時蝦夷地住した人びと国泰寺仏教によせる思いを知る好資料となっている。
 国泰寺には文化元年一八〇四)の年紀有する『掟』が二通伝えられている。堅く守るべき条々記されているがその中には蝦夷をして本邦の姿に帰化せしむる事」の一条記されている。アイヌ人びとの帰俗策を支持した文書として貴重であり、重要な内容を含むだけに、文書性格など今後の研究課題示唆する
 器物類では、クナシリメナシアイヌ蜂起に伴う犠牲者たち追善した塔婆や、「八幡大菩薩」などを刻した文化十三年の扁額がある。これにはアイヌ文様彫られており(チクシコイのウタッチャリ作)、年記のわかるものでは最古アイヌ文様といえる
 このように国泰寺にはアイヌ人びと日本人との関わりを示す資料類も多く蝦夷地寺院のみならず蝦夷地研究一大資料群としてその価値は高い。また、寺院地は「国指定史跡国泰寺跡」(昭和四十八年指定となっており、総合的な文化財保存を図ることともなる。



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