蝦夷三官寺善光寺関係資料
主名称: | 蝦夷三官寺善光寺関係資料 |
指定番号: | 136 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 2005.06.09(平成17.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 62点 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 善光寺は、蝦夷三官寺(注参照)の中では等〓院の次、国泰寺の上位に位置するという。噴火湾岸のウス(現伊達市有珠町)に建立された浄土宗の寺院で、寺号を大臼山道場院善光寺と称する。噴火湾岸のヤマコシナイ(現八雲町山越)からシラオイ(現白老町)までを布教範囲とする。善光寺は背後に有珠山を控えていることから、文政五年(一八二二)、嘉永六年(一八五三)にはその噴火に遭い、寺宝類を失ってはいるが、以下のような特徴的な資料も多く伝存している。 善光寺は刷り物の配布を布教に取り入れたこともあって、蝦夷地では最も古い板木が伝わっている。中でも四世弁定が開版させた『念仏上人子引歌』はアイヌの人びとをもその視野に入れており、日本語に添えてアイヌ語文を彫りこんでいる。今に伝わる最古のアイヌ語板木といってよい。 文書・記録類では初代住職祐誉荘海の偈のほか五世貫誉弁諦や七世性誉仙海にかかる綸旨などがあり、善光寺という寺の寺格を考える好資料を提供する。また、当寺の経典類の中には三官寺創建に大きな役割を果たした箱館【はこだて】奉行戸川安諭【やすとき】が奉納した『仏説無量寿経』があり、また『蝦夷島奇観』の著者として知られる秦檍麿【はたのあわきまろ】ゆかりの女性が『仏説阿弥陀経』を奉納したことがその奥書から知られ、幕吏たちの善光寺に対する意識の一斑を知ることができる。また、善光寺の過去帳に特徴的なのは、数こそ多くはないがアイヌの人びとの名を見ることである。絵画・器物類では歴代住職である祐誉荘海や響誉弁瑞らの肖像画があるほか、弁瑞がアイヌ布教に用いたという百万遍の念珠の存在は松浦武四郎の『東蝦夷日誌』にも記されている。このほか棟札などが残されており、善光寺修復の経緯を知ることができる。 蝦夷三官寺善光寺関係資料は蝦夷地寺院史や仏教史研究の資料としてだけではなく、アイヌ史研究資料としても重要である。また、寺院地は「国指定史跡善光寺跡」(昭和四十九年指定)となっており、総合的な文化財保存を図ることともなる。 |
重要文化財のほかの用語一覧
歴史資料: | 薬師寺枡 藤田貞資関係資料 蘇言機 蝦夷三官寺善光寺関係資料 蝦夷三官寺国泰寺関係資料 蝦夷三官寺等澍院関係資料 西大寺版板木 |
- 蝦夷三官寺善光寺関係資料のページへのリンク