薬師寺枡
主名称: | 薬師寺枡 |
指定番号: | 44 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 3口 |
時代区分: | 室町・安土桃山 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 奈良の薬師寺に伝来した天文十五年(一五四六)、天正二年(一五七四)、同六年の刻銘のある中世枡三口である。江戸時代の国学者屋代弘賢の撰述書『古今要覧稿』にも収録され、古くから著名なものである。 天文の銘のある枡は杉材を用い、四方口縁を鉄板で張ったいわゆる金伏枡である。かなり使いこんだ形跡があり、側面下部には木屎漆にて修理を施している。四方の側面にはそれぞれ「薬師寺」「金堂」「金伏」「天文十五年〈丙/午〉正月日」の陰刻銘があり、底裏面には墨書跡が認められるが、磨減していて判読はできない。また容積は今の一升に換算して六合五勺ほどにあたる。『薬師寺黒草紙』によれば、中世の薬師寺では多様な枡が使用されたことが明らかであるが、康永二年(一三四三)書写の記録には菓子の下行の中でクリ五舛は金伏枡で行うとの記載がある。また、修二月壇供寄進田分の収納にも金伏枡が用いられ、しかも基準枡となっていたことが判明する。したがって、この金伏枡は薬師寺金堂で使用された寺内枡であると考えられる。 天正二年銘のある一升枡は杉材を用いた竹伏枡で、四方の側面にはそれぞれ「十合」「天正二〈甲/戊〉」「六月吉日」「野田盛(花押)」の刻銘があり【(マゝ)】、底面裏にも図形の陰刻がある。容量は今の一升に換算して七合ほどになるが、『薬師寺黒草紙』には十合枡の記載もしばしばみられ、本枡がそれにあたるものと考えられる。 さらに天正六年銘のある金伏枡は桧材を用い、容量は現在の一升に換算すると八合四勺程度である。四周側面には「ヤクシゝ」「光〓」「反銭舛寫」「天正六年〈戊/刀〉」の刻銘がある。光弘は『上下公文所要録』所収の文書にしばしば他の公文とともに連署している人物で、本枡は光弘が関与した反銭収納のための枡の写と考えられる。 中世の社会では、各荘園や各領主、あるいは寺院内部においても多種多様な枡が用いられていたが、それを証する遺品は数少ない。この薬師寺枡はいずれも年紀を明らかにし、文書等にみられる多様な枡の具体的な遺品として中世量制史、社会経済史研究上に貴重である。 |
歴史資料: | 船大工樗木家関係資料 菅江真澄遊覧記 葛川明王院参籠札 薬師寺枡 藤田貞資関係資料 蘇言機 蝦夷三官寺善光寺関係資料 |
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