西欧における家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 15:24 UTC 版)
キリスト教の成立とその広まりとともに、教会を介在した結婚や、聖母マリア像に象徴される育児などが教えの中核をなしていった。 「家族のきずなが強調された」、「外で働く男たちとは対照的に主婦がその暮らしの中心をなしていた。」 現在の西欧文化においても、「家族」は市民生活の中でもっとも重要なテーマとなっている。 エドワード・ショーターは中世ヨーロッパには家族愛は存在せず、性愛・母性愛・家族愛は近代になってはじめて家族に持ち込まれたとした。この3つの概念は「性=愛=生殖」の一致を基本とする、いわゆる「近代家族」の理念的支柱となった。「近代家族」は、18世紀後半以降の産業革命の中でヨーロッパにおいて生み出されたと考えられている。これは夫婦を中心とし、子どもに重点を置く核家族制で、生産の側面を持たず、男女の分業を特徴とするものであり、産業革命の進展とともにこのモデルは世界に広がった。また、同時に家族は夫婦・親子の愛によって相互に結ばれるものというイデオロギーが成立した。 イタリア 一般に、イタリアの家庭ではマンマ(=「母ちゃん」、母親)が一家の中心に位置しており、一家の最重要人物だ、と考えられている。台所や洗濯場はマンマの「城」だと考えられており、料理は(たとえ男のほうがしたがったとしても)絶対に男には手出しさせない(男たちは、マンマの城である台所や洗濯場に自分がしゃしゃり出て入ったりしてはいけないものなのだ、と子供のころから母親や父親によって教え込まれ、そう考えている。)。イタリアでは家族は、できるだけ定期的に集い、テーブルを囲み、マンマ自慢の料理(トマト味のパスタやニョッキ 等々)を家族で堪能し、「やっぱりマンマの味は世界一だ」と家族全員で褒める。 マンマが絶対で、男たちは(夫も息子たちも)マンマには頭があがらない。たとえば、、一般の人々には恐れられている、こわもてのマフィアの男、警察のことすら恐れない男ですら、マンマのことだけは恐れている、マンマにだけは逆らえない、としばしば言われている。お嫁さんは、マンマの味(調理法、料理の味付け)を教わることで、姑と嫁の関係を結び、次世代のマンマとして息子の家庭で君臨することになる。 フランス フランス人は、家族の人間関係の中であくまで 夫婦関係が最優先事項と考える傾向がある。たとえ夫婦となり家族となっても、男と女の関係、特に 恋愛めいた男女の心の関係をもつこと、が最重要事項と考えるのである。フランス人は、子供を家族の中心事項にはしない。あくまで夫婦を最重要とし、子供の優先順位はその下である。子供は、赤ちゃんの時点から、夫婦とは別室で寝させ、絶対に夫婦が寝ている部屋では寝させない。子供に対しては、赤ちゃんの時から、独りでいることに慣れてもらうべきで、そのほうが幸せになれる、と考えており、《個》つまり個人としてのしっかりした人格が確立することを望む。家族の中での料理の担当者に関しては、18〜19世紀のフランスでは女性がするのが当然視されていたが、近年のフランスでは(イタリアの典型的夫婦とは異なり)夫がキッチンに立って調理に参加したり、また、夫のほうが主導して料理をするような夫婦はそれなりにいる。 類型をめぐる学問的対立 M・アンダーソンは「今日の社会学では、たとえば「家父長制」という概念を説明するために、『些細な事実』を集積してきて類型化してしまいがちである。しかし単一の家族制度などは現実には存在せず、どの地域でも、あるいは歴史上のどの時点でも、家族類型などは存在しない」と説いた。 エマニュエル・トッドはフレデリック・ル・プレーによって見出された家族類型というものがブリコラージュ(やっつけ仕事)であること認めつつ、完璧に一貫性ある類型体系を先験的に定義するのは不可能でもあれば無用でもあり、ほかの変数との対応関係に置くことができる形で記述するのを可能にする限りにおいて、類型化に意義があるとした。
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