18〜19世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 10:14 UTC 版)
1795年、リトアニアの大半の地域はロシア帝国へと編入され、ウクメルゲはヴィレイカ県 (Виленская губерния) の一部となった。1812年にロシア軍とフランス軍がウクメルゲ近郊のデルトゥヴァ (Deltuva) で戦った際、ナポレオン・ボナパルトの軍隊がウクメルゲの街を襲った(1812年ロシア戦役も参照)。1831年の11月蜂起では、数ヶ月間反乱軍に占領されていたこともあった。1843年、新たに設置されたコヴノ県 (Ковенская губеpния) の一部となる。1863年、ウクメルゲはロシアに反対して1月蜂起に加わった。1876年、マッチ工場が作られる。1877年、火事により街が焼失。なお、この頃、後にリトアニアの大統領となるアンタナス・スメトナがウクメルゲ近郊のウジュレニス (Užulėnis) にて生まれている。1882年、印刷所が開かれる。1899年、当時禁止されていたリトアニア語による書籍を配ったことを理由に13人が処罰された。
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