聖母マリア像
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「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「聖母マリア像」の解説
ローマ・カトリック教会によって広められた聖母マリア崇敬は、フィレンツェでも深く受け入れられた。聖母をモチーフとした宗教画が穀物市場の円柱に飾られ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のように、聖母に捧げられた宗教施設も多い。穀物市場の絵画は火災によって失われてしまったが、1330年代にベルナルド・ダッディが新たに描き起こし、オルカーニャが制作したオルサンミケーレ教会の絢爛豪華なタベルナクル(天蓋付き壁龕)に配された。 フィレンツェでは、大量生産された小さなテラコッタの飾り額から、チマブーエ、ジョット、マサッチオらの壮大な祭壇画まで「聖母子」を描いた美術作品が数多く制作されている。15世紀から16世紀前半にかけて、聖母に関する美術作品の制作をほぼ独占するような工房が存在した。これはデッラ・ロッビア一族が経営する工房で、絵画ではなく陶磁器、土器による彫刻工芸を専門としていた。例えば、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のレリーフ『カントリア』(1431年 - 1438年)の制作者として有名なルカ・デッラ・ロッビアは、釉薬を使用した大規模なテラコッタを駆使した最初期の彫刻家である。デッラ・ロッビア一族が制作した作品は、変質しにくい陶磁器という特性もあって多く現存している。デッラ・ロッビア一族の技術は高く、とくにルカ・デッラ・ロッビアの甥アンドレア・デッラ・ロッビアが制作した幼児キリストの彫刻は極めて写実的で、聖母の感情表現や美的表現にも優れている。デッラ・ロッビア一族の作品は、フィレンツェの芸術家たちに広く模倣され、聖母をモチーフとした美術作品の基準ともいえる地位を確立していった。 ルネサンス初期に聖母マリアをモチーフとした絵画作品を描いた画家として、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ヴェロッキオ、ダヴィデ・ギルランダイオ (en:Davide Ghirlandaio) らがいる。聖母の宗教画はルネサンス期を通じて描き続けられ、メディチ家の依頼で12年間に渡って一連の聖母の絵画を描いたボッティチェッリ、甘美な表現で聖母や聖人を描いたペルジーノ、『ベノワの聖母』(1478年、エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク))を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチらの作品が現存している。 彫刻を主たる活動としていたミケランジェロも『聖家族』を描き、ラファエロも「聖母の画家」と呼ばれるほどに聖母をモチーフとした絵画を多く描いた。
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聖母マリア像
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「聖マリアンナ医科大学」の記事における「聖母マリア像」の解説
聖母マリアの像が、学内に設置してある。 大学病院…本館2階に安置。 西部病院…看護師寮と遊水池の間の小道の先に安置。
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