聖母マリア像とは? わかりやすく解説

聖母マリア像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 15:46 UTC 版)

ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「聖母マリア像」の解説

ローマ・カトリック教会によって広められ聖母マリア崇敬は、フィレンツェでも深く受け入れられた。聖母モチーフとした宗教画穀物市場円柱飾られサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のように、聖母捧げられ宗教施設も多い。穀物市場絵画火災によって失われてしまったが、1330年代ベルナルド・ダッディ新たに描き起こしオルカーニャ制作したオルサンミケーレ教会絢爛豪華なタベルナクル(天蓋付き壁龕)に配された。 フィレンツェでは、大量生産された小さなテラコッタ飾り額から、チマブーエジョットマサッチオらの壮大な祭壇画まで「聖母子」を描いた美術作品数多く制作されている。15世紀から16世紀前半にかけて、聖母に関する美術作品制作をほぼ独占するような工房存在した。これはデッラ・ロッビア一族経営する工房で、絵画ではなく陶磁器土器による彫刻工芸専門としていた。例えば、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂レリーフ『カントリア』(1431年 - 1438年)の制作者として有名なルカ・デッラ・ロッビアは、釉薬使用した大規模なテラコッタ駆使した最初期彫刻家である。デッラ・ロッビア一族制作した作品は、変質しにくい陶磁器という特性もあって多く現存している。デッラ・ロッビア一族技術高く、とくにルカ・デッラ・ロッビアの甥アンドレア・デッラ・ロッビア制作した幼児キリスト彫刻極めて写実的で、聖母感情表現美的表現にも優れている。デッラ・ロッビア一族作品は、フィレンツェ芸術家たちに広く模倣され聖母モチーフとした美術作品基準ともいえる地位確立していった。 ルネサンス初期聖母マリアモチーフとした絵画作品描いた画家として、フラ・アンジェリコフィリッポ・リッピヴェロッキオ、ダヴィデ・ギルランダイオ (en:Davide Ghirlandaio) らがいる。聖母宗教画ルネサンス期通じて描き続けられメディチ家依頼12年間に渡って一連の聖母絵画描いたボッティチェッリ甘美な表現聖母聖人描いたペルジーノ、『ベノワ聖母』(1478年エルミタージュ美術館サンクトペテルブルク))を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチらの作品現存している。 彫刻主たる活動としていたミケランジェロも『聖家族』を描きラファエロも「聖母画家」と呼ばれるほどに聖母モチーフとした絵画多く描いた

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聖母マリア像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:38 UTC 版)

聖マリアンナ医科大学」の記事における「聖母マリア像」の解説

聖母マリアの像が、学内設置してある。 大学病院本館2階安置西部病院看護師寮と遊水池の間の小道先に安置

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