せいぼマリア‐の‐いえ〔‐いへ〕【聖母マリアの家】
聖母マリアの家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:05 UTC 版)
「アンナ・カタリナ・エンメリック」の記事における「聖母マリアの家」の解説
エンメリックがヴィジョンとして観た「The Life of The Blessed Virgin Mary (邦題:聖家族を幻に見て)」には、聖母マリアがエフェソスの近郊にある丘で暮らしていたとの記述が載っている。ただし、エンメリック、また彼女のヴィジョンを口述筆記し、この本としてまとめたクレメンス・ブレンターノもエフェソスに入ったことがなかった。そして実際、この場所は発掘がされた訳でもなかった。 しかし、1881年、フランスの司祭であるジュリアン・ゴヤット神父(the Abbé Julien Gouyet )は、この本の聖母マリアの家に関して描写している個所をその情報源として使って、聖母マリアが亡くなるまで暮らしていた家を捜索し、その本の記述に基づく通りの場所で、その家と思われる遺跡を発見した。彼は当初、だれにも真剣に相手にされなかったが、修道女のマリー・デ・モンデ・ゴンセ(Marie de Mandat-Grancey)がこの本と、ジュリアン・ゴヤット神父の発見した場所に聖母の家があることを主張して、他の2名の司祭が同じ経路をたどり、そして遺跡の発見を確認した。 ローマ教皇庁は、まだこの場所が聖母の家であったことの確実性について、公式の立場をとっていない。しかし、1896年に、教皇レオ13世が訪問し、1951年に教皇ピオ12世はこの家を聖なる場所であることをまず最初に宣言した。教皇ヨハネ23世は、後にこれを永久宣言とした。パウロ6世が1967年、ヨハネ・パウロ2世が1979年、そして教皇ベネディクト16世が2006年にこの家を訪れ、この家を聖地とみなした。
※この「聖母マリアの家」の解説は、「アンナ・カタリナ・エンメリック」の解説の一部です。
「聖母マリアの家」を含む「アンナ・カタリナ・エンメリック」の記事については、「アンナ・カタリナ・エンメリック」の概要を参照ください。
- 聖母マリアの家のページへのリンク