聖母マリアの七つの悲しみ
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「悲しみの聖母」の記事における「聖母マリアの七つの悲しみ」の解説
1668年に、修道会「聖母のしもべ会」が申請していたこの「聖母マリアの七つの悲しみ」について、その祝日を別の日に分離することが認められた。この祝日は、9月の第3日曜日とされた。この祝日は、聖母の七つの悲しみを黙想することがその目的である。この祝日は1814年に教会暦に載せられ、教皇ピウス12世によって全てのカトリック教会に広められた。この祝日はその後、9月の第3日曜日に移動されたが、さらに1913年には教皇ピウス10世により、十字架称賛の祝日から数日後の9月15日へ移動された。現在もこの祝日は同じ日付である。 なお、この「聖母マリアの七つの悲しみ」に関しては、聖週間と9月15日に祝典が行われており、双方ともそれぞれ「聖母マリアの七つの悲しみの祝日」と呼ばれ続けていた。そしてセクエンツィアとして「スターバト・マーテル」を唱えることにもなっていた。このように、聖週間に行われていた祝典が9月15日の祝日に行われる祝典と重複しているとして、1969年に教会暦から削除された。これにより残された方の9月15日が「悲しみの聖母」の祝日となり「スターバト・マーテル」を任意で唱える日として知られるようになった。 1962年の教会暦における祝典が、現状においても特別形式のローマ典礼として未だ存在している。そしてこれは、1969年に教会暦の使用を見直した地域にあっても同じである。マルタのように1962年の教会暦を自らの地域における教会暦としている地域がいくつか存在し続けた。全ての国々において、2002年版のミサ典礼書には、聖金曜日に集祷文を唱える選択肢が設けられている。
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聖母マリアの七つの悲しみ
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「悲しみの聖母」の記事における「聖母マリアの七つの悲しみ」の解説
「マリアの七つの悲しみ」は、カトリック教会の信心業の中でも普及しているものである。カトリック教会における共通した宗教画として、聖母マリアが悲しみにくれて涙を流し、7つの矢に心臓を貫かれ、しばしば流血している姿が描かれる。この信心業における祈祷文も、聖母の悲しみを瞑想することから成り立っており、これはルカによる福音書に記されたシメオンの預言を基にした聖母の七つの悲しみを詳しく述べるところから始まる。 この「悲しみの聖母」における信心業で一般的なものは「七つの悲しみのロザリオ(英語版)」や「聖母の七つの悲しみのチャプレット」、そして最近では「聖母マリアの悲しみと汚れなきみ心(英語版)」がある。 聖母マリアの七つの悲しみとは、聖母マリアの人生において起こった7つの出来事を指している。これは「聖母マリア 7つの悲しみの道行」として一般的に普及している信心業であり、「聖母マリアの七つの悲しみ」の各シーンは、美術絵画としても頻繁に描かれるテーマである。 カトリック教会で一般的に行われている信心業の行い方は、「主の祈り」を1回、それぞれの7つの玄義ごとに「アヴェマリアの祈り」を1回ずつ唱える。なお、この七つの悲しみは、ロザリオの祈りの5つの玄義と混同すべきではない。 シメオンの予言 (ルカ 2:34-35) エジプトへの逃避 (マタイ 2:13) 幼子イエスをエルサレム神殿で見失う (ルカ 2:43-45) 十字架の道行きでのイエスとの出会い ゴルゴタの丘でのイエスの磔刑 (ヨハネ 19:25) イエスが脇腹を槍で突かれ、十字架から降ろされる(en:Descent from the Cross) (ヨハネ 19:34, 19-38) アリマタヤのヨセフによるイエスの埋葬(英語版) (ヨハネ 19:40)
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