被爆マリア像とは? わかりやすく解説

被爆マリア像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:25 UTC 版)

カトリック浦上教会」の記事における「被爆マリア像」の解説

1929年昭和4年)、聖堂取り付けられ祭壇には木製聖母マリア像装飾されていた。 1945年原爆投下により天主堂倒壊したが、終戦後マリア像頭部浦上出身野口嘉右衛門神父(厳律シトー会)によって瓦礫の中から発見された。その後トラピスト修道院純心女子短期大学(現:長崎純心大学教授片岡弥吉によって保管されていたが、1990年平成2年)にマリア像浦上天主堂返還された。バチカンには1985年昭和60年)と2010年平成22年)に訪れており、2回目訪問の際にはローマ教皇ベネディクト16世祝福受けている。 現在ではこの聖母マリア像世界遺産登録するための運動行われている。 ちなみにこの像のモデルムリーリョの『無原罪の御宿り』とされている。

※この「被爆マリア像」の解説は、「カトリック浦上教会」の解説の一部です。
「被爆マリア像」を含む「カトリック浦上教会」の記事については、「カトリック浦上教会」の概要を参照ください。

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