被爆による壊滅から新「県病院」の設立へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 07:45 UTC 版)
「県立広島病院」の記事における「被爆による壊滅から新「県病院」の設立へ」の解説
1945年(昭和20年)4月、県立医学専門学校が設立されたため県病院は同校の附属医院(附属病院)となったが、8月の原爆投下で爆心地より至近距離にあった病院は全焼・全壊し壊滅、機能停止に陥った(これにより県病院と県立医専との関係も消滅した)。その後、1947年に解散した日本医療団が運営していた広島中央病院の施設を引き継ぐ形で、1948年4月1日、現在地の宇品において再発足した。再発足時の診療科は内科・外科・小児科・産婦人科・皮ふひ尿器科・眼科・歯科・放射線科の8科、病床数は111床であった。
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