被爆の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:17 UTC 版)
原爆投下の際には、本通り・袋町地域ではその地域にいた人の87%〜90%が即死した。また短時間で地域全体が猛火に包まれた。日本銀行広島支店(爆心地から南東に380m)では54名が死亡し、扉および窓は全て吹き飛んだ。被爆時窓が開いていた3階部分は全焼したが、1、2階部分は延焼を免れ、臨時の病室として救援活動に使用された。頼山陽史跡資料館(410m)では建物の一部が焼け残り、クロガネモチの木が根のみを残し焼けた。袋町国民学校校舎(460m)では西側校舎のみを残し倒壊、児童・教職員227名は児童3名と教職員2名を残して死亡した。校舎の内部は全焼したが、残った西校舎を利用して1945年10月まで救護所が設置された。広島中央電話局では勤務していた451名のうち、約半数が死亡し、生き残った人も全員が重軽傷を負った。ビルは内部が全焼した。(NTT西日本十日市ビルも参照)
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