西欧における影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 13:38 UTC 版)
「イブン・ルシュド」の記事における「西欧における影響」の解説
キリスト教圏西欧での主な影響は、アリストテレスの広範な彼の解説によるものであった。西ローマ帝国崩壊後、西ヨーロッパは文化の衰退に陥り、アリストテレスを含む古典的なギリシャ人の知的遺産のほとんどが失われた。13世紀に翻訳されたイブン・ルシュドの註解はアリストテレスの専門的な説明を提供し、再びアリストテレスの利用を可能とした。イブン・ルシュドはその影響の大きさから名前ではなく、単に「注釈者」(Commentator)と呼ばれた。1217年にパリとトレドで始まったラテン語訳の最初の語訳者ミカエル・スコトゥスは、自然学、形而上学、霊魂論、天体論の各大註解を翻訳した。これに続いてヘルマンヌス・アレマンヌス、ルナのウィリアム、モンテペリエのアルマンゴーなどが、時にはユダヤ人の助けを借りて他の作品を翻訳した。その後まもなくキリスト教徒の学者の間に広まった。それらはラテン・アヴェロイストとして知られる強固なサークルを引き付けた。パリとパドヴァはアヴェロイズムの主要な中心地であり、13世紀の主要な人物としてブラバンのシゲルスやダキアのボエティウスがいた。 ローマ・カトリック教会はアヴェロイズムの蔓延に反対した。1270年パリ司教エティエンヌ・タンピエは15の教説に対して教会の教義と反していると非難した。1277年、教皇ヨハネス21世の依頼によってタンピエは別に非難を発し、アリストテレスとアヴェロエスの教説から219の論説を対象とした。 13世紀の主要なカトリック教会の思想家トマス・アクィナスはアヴェロエスのアリストテレス解釈に大いに頼っていたが、多くの点で彼に反対した。例えば知性単一論に対して詳細な反論を書いた(『知性単一論(フランス語版)』)。また、宇宙の永遠性と神の摂理についても反対した。 1270年と1277年のカトリック教会の非難とトマス・アクィナスの反駁はラテン・キリスト教世界においてアヴェロイズムの広がりを弱めたが、影響はヨーロッパがアリストテレス主義から脱却し始める16世紀まで続いた。14世紀にはジャンダンのヨハネス(英語版)、パドゥアのマルシリウス、15世紀ティエネのガエターノ、ポンポナッツィのピエトロ、16世紀マルカントニオ・ツィマラなどのアヴェロイストが存在した。
※この「西欧における影響」の解説は、「イブン・ルシュド」の解説の一部です。
「西欧における影響」を含む「イブン・ルシュド」の記事については、「イブン・ルシュド」の概要を参照ください。
- 西欧における影響のページへのリンク