西欧についての調査・考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:33 UTC 版)
林則徐は、広東でアヘン取締りの任に就くにあたり、幕僚に袁徳輝などの英文の堪能な人物を加え、さらに広州医療伝道会のアメリカ人医師ピーター・パーカーの協力も得て、英字誌や、西欧の地理書、国際法や兵器等に関する文献を翻訳し収集して研究していた。これにより林則徐は、外国商人の来航・貿易自体を禁ずることは非現実的で不可能であるとの認識に至っており、またイギリス側が清国側の西欧事情の無知に乗じようとしても隙を与えなかった。 欽差大臣解任後、林則徐は、転任先の新疆イリへの赴任の途上、揚州で親交のある魏源を訪ね、収集した西欧の翻訳文献等を託した。魏源は託された文献資料をもとに『海国図志(中国語版)』を著した。『海国図志』は日本にも伝えられ、幕末の有識者の海外情勢・国防についての認識に多大な影響を与えた。
※この「西欧についての調査・考察」の解説は、「林則徐」の解説の一部です。
「西欧についての調査・考察」を含む「林則徐」の記事については、「林則徐」の概要を参照ください。
- 西欧についての調査・考察のページへのリンク