羽柴秀吉軍
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黒田官兵衛(重戦車) 37歳。秀吉の懐刀にして智謀軍略に長けた参謀。同じ秀吉の参謀である竹中半兵衛を師と仰ぎ、その清廉潔白さと縦横無尽なる智謀軍略を学んだ。荒木村重の反乱の際、有岡城へ説得に訪れたが逆に捕らわれて救出されるまで一年近く牢獄生活をすごし、その影響で足が不自由となった。その後、自身の幽閉中に師半兵衛の陣中での病没を知り、苦悩の末、清濁合わせた智謀をもって天下をうかがおうと野心を掲げるようになった。 黒田長政(重戦車・黒田官兵衛の強化版) 16歳。官兵衛の嫡男にして初陣を飾ったばかりの新参者。荒木村重の反乱で父が捕らえられて幽閉されたのを裏切りと見た信長に殺されそうになるが、父の師である半兵衛のおかげで難を逃れた。半兵衛の死後、野心を剥き出しにする父よりも亡き半兵衛に憧れるようになった。武将仲間では細川忠興と仲が良い。前作でも中ボスとして登場。 蜂須賀正勝(速戦車) 57歳。秀吉の参謀の一人。「小六のオヤジ」と呼ばれ秀吉軍では絶大な信頼を集める。元々は尾張蜂須賀郷の豪族で「蜂須賀党」の頭領。見た目は野武士然としているが、勇猛さだけではなく知略にも長け、領内の民政にも細やかな神経をはらう智勇兼備の実務派武将。 加藤清正(人型メカ) 21歳。幼名は虎之助で秀吉の下で養育された子飼衆の一人。秀吉や官兵衛に心酔し、槍働きで彼らの助けになることを望む。大柄な体格で武勇に優れるだけではなく勉強熱心な若者でもある。 福島正則(人型メカ・加藤清正の強化版) 22歳。幼名を市松。清正同様、秀吉の下で養育された子飼衆の一人で番長的な存在。勇猛果敢で情に厚く涙もろく直情的かつ一本気の性格。18歳で中国攻めに従軍し、並外れた怪力で猛将ぶりを発揮し、兄弟のように育った清正と手柄を競った。坊主あがりで力の弱い石田三成をからかって遊ぶこともしばしばだが、本人に悪気は無いらしい。 大谷吉継(要塞) 24歳。大谷家は元々九州の大友家に仕えていたが、父盛治と共に大友家を離れ流浪の末に16歳で秀吉の小姓として仕え、鋭敏な才覚を認められて秀吉からの信任を得る。小姓出身からか福島正則や石田三成の面倒をよく見ていたため、彼らからの人気も高い。内政面に堪能だが、軍略においても優れた才能を持つ文武両道の名将。病気の後遺症を患い顔を布で隠しているため、見た目は物々しい。 羽柴秀吉(戦国鎧メカ:金猿) 46歳。信長の父、信秀配下の足軽、木下弥右衛門と農民の娘なかとの間に生まれる。通称「サル」。18歳の時、信長と出会い雑用に従事する小物として仕える。織田家に仕官後、史実同様、持ち前の頭の回転の速さと行動力、弁舌と愛嬌をもって出世街道を上って行き今浜城(長浜城)を与えられて一国一城の主になれた際、先輩格の丹羽長秀と柴田勝家の両方の姓を一字とって「羽柴」とし、木下藤吉郎から羽柴秀吉に改名した。織田家重臣と肩を並べる存在となったが、それ以上の出世を望み、勝家とは作戦上の不一致から無断で戦線離脱。その後、松永久秀の謀反を制圧し中国方面の最高指揮官の地位を手にした。敬愛する信長のナンバー2でありたいと望んでいる。 羽柴秀吉軍の兜首一覧羽柴秀長 宮部継潤 南条元続 中村一氏 山名豊国 浅野長政 仙石秀久 渡辺官兵衛 堀尾吉晴 前野長康 蜂須賀家政 後藤又兵衛 母里太兵衛 加藤嘉明 平野長泰 糟屋武則 片桐且元 脇坂安治 石田三成 増田長盛 大谷吉継 蜂須賀正勝 加藤清正or福島正則 黒田官兵衛or黒田長政 羽柴秀吉
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