絶滅の危険性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 07:32 UTC 版)
日本国内に分布するネコ類は、人為的移入種であるイエネコを除けば、対馬のツシマヤマネコと、西表島のイリオモテヤマネコの2つのみである。1965年の劇的な発見と報道(『毎日新聞』1965年4月15日)により全国的に知られるようになったイリオモテヤマネコと比べると知名度は劣るが、本種も同様に絶滅が危惧される希少動物である。1994年、環境庁(当時)によって国内希少野生動植物種に指定されたが、哺乳類では長らくイリオモテヤマネコと本種の2種のみが指定種であった(2004年にダイトウオオコウモリとアマミノクロウサギが、2009年にオガサワラオオコウモリが指定され、現在は5種)。1971年には国の天然記念物に指定されているが、いまだイリオモテヤマネコと同じ特別天然記念物への指定はなされていない。一方、1998年の「哺乳類レッドリスト (環境省)」(当時は環境庁)発表以来、一貫して絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト)とされている(イリオモテヤマネコは当初IB類であり、2007年よりIA類となった)。 ツシマヤマネコの生息地 かつては、単に「山猫」と言えば、それは(野猫を指すことも多かったが、その場合を除けば)特にツシマヤマネコのことであった。「猿」と言えばニホンザル、「狐」と言えばアカギツネを意味したのと同様である。古くは200年ほど前の文献に「山猫」として記述されており、1902年頃までは、対馬全域に普通に生息していたと言われる。毛皮は利用価値が低かったが、肉は美味であり、島にはもっぱらヤマネコを狩る猟師も存在した。猟犬の導入による減少があったとも言われるが、1945年頃までは、山奥にはまだかなりの数が生息しており、山に入れば必ず目撃されたとされる。 しかしその後、森林の伐採による営巣地の破壊に加え、林業の普及により本来の植生である広葉樹林や照葉樹林そして混合林の伐採された跡に針葉樹の植林が進められたことや、山間部の耕作地の放棄が進んだこともあって、食物となるネズミや野鳥などの小動物が減少した(水路で獲れるウナギ等の魚を含む小動物が豊富であることから、また、外敵から子猫を守りやすいために、本種は特に育児期には、耕作地に出没することが多かった)。しかも対馬にはツシマテンやチョウセンイタチといった競合者が多く、これらの動物はツシマヤマネコよりも雑食性が強いために、開発が進んだ環境にも強い。除鼠剤や農薬の使用がさらに追い討ちをかけ、近年は野猫や野犬の増加がツシマヤマネコの生存環境をますます圧迫している。1996年には、野猫ないし野良猫から感染したと思われるFIV感染症(いわゆるネコエイズ)のツシマヤマネコが初めて発見されている。また、ニワトリ小屋を野猫などの被害から守るために農家が設置した罠(トラバサミ)によりケガをする個体も相次いでいる。さらに近年では、開発が遅れていた北部でも道路整備が進んだことで、交通事故により死傷するツシマヤマネコも増加している。なお、対馬にはツシマヤマネコの飛び出しに注意を促す道路標識がある。 このような悪条件のもと、1970年代以前には約300頭、1980年代には100-140頭と推定されていたツシマヤマネコは、1990年代の調査では90-130頭、2000年代前半の調査では80-110頭にまで減少した。2010年-2012年に実施したツシマヤマネコ生息状況等調査(第四次特別調査)では、70-100頭と推定され、減少傾向にあるとされている。 対馬南部(下島)での生息について映像や個体等の明らかな確認は、1984年の交通事故で死亡したと考えられる個体の発見以来、長らく途絶えていた。このことからも本種の野生個体がいかに減少しているかが窺える。しかし、2007年3月2日に南部で成獣が撮影され、5月8日に環境省が南部での23年ぶりの生息確認を発表した。
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