絵画の一覧
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画像作品名制作年素材・技法寸法(縦x横cm)所有者・所蔵館署名・年記出品展覧会備考 雲湧く山 1911年(明治44年)2月 油彩・ボード 16.1×21.0 個人 京都時代最初期、絵を習い始めた14歳の作品。油絵を習い始めて半年とは思えない構図や色彩、筆使いを見せる。 飛行機 1912年(大正元年) 油彩・板 36.0×26.0 個人 花 1912年(大正元年) 油彩・キャンバス 33.0×41.0 個人 裏の木枠に「槐多 1912年」」 花 1913年(大正2年) 油彩・キャンバス 53.0×45.5 ウッドワン美術館 ガーベラの花 1913年(大正2年)頃 油彩・キャンバス 38.8×44.4 ウッドワン美術館 賀茂の里(かも の さと) (英題)A Village of Kamo 1913年(大正2年)頃 油彩・キャンバス 99.5×62.6 ポーラ美術館 庭園の少女 1914年(大正3年) 水彩・紙 61.0×46.4 福島県立美術館 第1回二科展入選 二少年 1914年(大正3年) 水彩・紙 80.5×60.5 世田谷文学館寄託 江戸川乱歩旧蔵 農学士・田中十三男像 1914年(大正3年) 水彩・紙 67.8×47.2 愛知県立岡崎高等学校同窓会(岡崎市美術館寄託) いとこの嶺田丘造が第四代岡崎高校同窓会長を務めた際、同校に寄贈。嶺田と田中十三(とみお)は小学校からの付き合いで、嶺田の紹介で槐多と知り合った。槐多が田中に世話になったお礼に描いて贈ったと思われ、槐多作品としては生真面目なタッチで仕上げられている。 橋桁のある信州風景(はしげた の ある しんしゅう ふうけい) (英題)Shinshu Landscape with Bridge Girder 1914年(大正3年) 木炭・紙 28.3×39.8 ポーラ美術館 川のある風景 1914年(大正3年) 水彩・紙 24.3×28.7 府中市美術館 風船をかぶれる自画像 1914年(大正3年)2月 水彩鉛筆・紙 45.4×31.7 個人 頭に紙風船を被った自身を描いている。眼鏡をかけ、流し目で視線を他所に向けている。 自画像 1914年(大正3年) 水彩・紙 33.5×24.5 信州風景 1914年(大正3年) 水彩・紙 32.4×49.0 京都市立芸術大学芸術資料館 信州風景 1914年 (大正3年) 木炭・紙 48.0×60.0 信濃デッサン館旧蔵 森の道 1914年(大正3年) 油彩・キャンバス 54.3×37.5 個人 田端風景 1914年(大正3年) 油彩・キャンバス 41.1×60.6 個人 田端風景 1914年(大正3年) 水杉・紙 24.3×33.2 上田市立美術館 朱の風景 1914年 (大正3年) 水彩・紙 18.9×29.4 長野県立美術館 KAITA EPITAPH 残照館 (旧・信濃デッサン館) 旧蔵 裸婦 [リンク切れ] 1914-15年(大正3-4年) 油彩・キャンバス 61.0×41.0 久万高原町立久万美術館 日曜の遊び 1915年(大正4年) 水彩・紙 181.4×234.0 岡崎市美術館 自画像 1915年(大正4年)6月 木炭・紙 36.7×19.4 福岡市美術館 カンナ 1915年(大正4年)7月 油彩・板 41.0×26.0 個人 裏に「田端一五五1915.7.村山槐多」 信州風景 1915年(大正4年)11月5日 木炭・紙 46.5x62.0 個人 信州風景 1915年(大正4年)11月11日 木炭・紙 46.5x62.0 個人 上記とセット。連なる山々を遠景に、稲刈りの季節を迎えた農村の描く。約100年間行方不明になっていたが、京都市内で2018年(平成30年)秋に見つかった。 カンナと少女 1915年(大正4年) 水彩・紙 90.5×60.3 個人 第2回日本美術院展覧会院賞 小杉未醒(のちの放庵)邸にて木彫家・吉田白嶺の娘・雅子を背景にカンナの花を添えて描く。 尿する裸僧(いばり する らそう) 1915年(大正4年)2月 油彩・キャンバス 80.3×60.6 長野県立美術館 画題は、合掌しながら地べたに置いた托鉢の器に向けて立ち小便をする全裸の僧という強烈な内容で、荒ぶる筆致もガランス(深い茜色)の色使いも衝撃的である。信濃デッサン館の館蔵品であったが、当館が閉館に向かうなか、他の全ての館蔵品と共に2019年(平成31年)3月27日付で長野県に寄贈された。2021年(令和3年)開館の長野県立美術館に収蔵される。 湖畔郷邑 1915年(大正4年)頃 油彩・キャンバス 45.5×53.0 個人 ダリア 1915年(大正4年)頃 油彩・キャンバス 99.0×79.0 個人 槐多の静物画としては最大の40号の作品 自画像 1916年(大正5年)1月2日 木炭・紙 62.2×47.8 岡崎市美術館 のらくろ者 1916年(大正5年) コンテ・紙 76.5×57.5 横須賀市美術館 芍薬(しゃくやく) (英題)Flowers of Peonies 1915-16年(大正4-5年) 油彩・キャンバス 52.0×45.0 久万高原町立久万美術館 別名 芍薬の花 自画像 1916年(大正5年) 油彩・キャンバス 60.5×50.0 三重県立美術館 20歳の頃の自画像 植物園之景 1916年(大正5年) 油彩・キャンバス 37.3×45.5 個人 大島の水汲み女 1916年(大正5年) 油彩・キャンバス 33.3×23.1 日本近代文学館 差木地村ポンプ庫 1916年(大正5年) 油彩・キャンバス 61.0×45.7 本間美術館寄託 大島風景 1916年(大正5年)頃 油彩・キャンバス 35×23 個人 乞食と女(こじき と おんな) 1917年(大正6年) 油彩 151.5×60.6 所在不明 第4回日本美術院展覧会院賞 物語性のある最後の槐多作品。乞食は槐多自身、着飾った着物の女性はお玉さんがモデルとされる。槐多はこの絵に200円の値段をつけた。本作により、槐多は日本美術院院友に推されることとなる。 バラと少女(英題)Roses and a Girl 1917年(大正6年) 油彩・キャンバス 116.5×72.0 東京国立近代美術館 別表記 薔薇の少女 信州風景(山) 1917年(大正6年) 木炭・紙 55.0×35.7 三重県立美術館 コスチュームの娘 (英題)Girl in Costume 1917年(大正6年) 木炭・紙 85.0×63.0 東京国立近代美術館 第3回院試作展 湖水と女(英題)Lake and Woman 1917年(大正6年) 油彩・キャンバス 60.8x45.9 ポーラ美術館 第3回日本美術院試作展覧会奨励賞 婦人像 1917年(大正6年)頃 油彩・キャンバス 45.5×33.5 法人 ダリア 1917年(大正6年)頃 油彩・キャンバスボード 45.0×38.0 個人 樹木(けやき)(じゅもく けやき) 1917年(大正6年)頃 木炭・紙 62.6×46.8 福島県立美術館 湖畔 1917年(大正6年) 油彩・キャンバス 45.5×53.0 個人 片貝風景 1917年(大正6年) 油彩・キャンバスボード 24.8×32.7 個人 房州風景 1917年(大正6年) 油彩・キャンバス 31.3×43.6 名古屋市美術館 房州風景 1917年(大正6年)12月 油彩・キャンバス 33.1×41.0 個人 房州風景 1917年(大正6年)頃 油彩・キャンバス 62.0×46.5 個人 男 1917-18年(大正6-7年) 油彩・キャンバス 44.0×32.0 和歌山県立近代美術館寄託 風船をつく女 1918年(大正7年) 木炭・紙 90.9×60.6 神奈川県立近代美術館 自画像 1918年(大正7年) 油彩・キャンバス 55.0x47.0 大阪市立美術館 自画像 1918年(大正7年) 木炭・紙 59.2×38.2 横浜美術館 鳴浜九十九里 1918年(大正7年)頃 油彩・板 24.0×32.5 個人 松の群 1918年(大正7年) 油彩・キャンバス 60.4×44.8 中野美術館 第5回日本美術院試作展覧会(1919年2月) 同会の美術院賞乙賞受賞作の一つ。 風景・松 1918年(大正7年)頃 油彩・キャンバス 53.0×40.9 かみや美術館 第5回日本美術院試作展覧会(1919年2月) 同会の美術院賞乙賞受賞作の一つ。 松と榎(まつ と えのき) 1918年(大正7年)頃 油彩・キャンバス 60.5×45.3 個人 第5回日本美術院試作展覧会(1919年2月) 同会の美術院賞乙賞受賞作の一つ。
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