絵画における長篠合戦とは? わかりやすく解説

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絵画における長篠合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 14:53 UTC 版)

「長篠の戦い」記事における「絵画における長篠合戦」の解説

近世期には屏風絵において軍記類の記述に基づき著名な戦国合戦様子描いた戦国合戦屏風製作され長篠合戦図屏風10作例知られる現存する作例のうち原本考えられているものが尾張徳川家附家老犬山藩主の成瀬氏伝来した長篠合戦図屏風」(犬山城白帝文庫所蔵公式サイト解説あり)で、成瀬本は六曲一双本間屏風で「長久手合戦屏風」と対になる長篠合戦図は右隻となる。紙本着色寸法は縦165.2cm、横350.8cm。 画面構成右端の一扇目には大野川寒狭川画され長篠城城将である奥平貞昌の姿が描かれ右下には巣山砦が描かれている。二扇目には武田勝頼本陣描かれ上部には馬場信春最期描かれている。第三、四扇目には設楽原における決戦様子描かれ馬防柵守られ徳川勢鉄砲隊突撃する山県昌景騎馬隊描かれている。第五、六扇目には織田徳川勢本陣描かれ信長家康のほか羽柴秀吉滝川一益諸将の姿が描かれているが、特に徳川勢布陣大きく描かれ成瀬氏始祖である成瀬正一のほか徳川家譜代家臣諸将描かれている。 描かれている諸将配置場面構成から成瀬本に元和8年1623年)には刊本刊行されている小瀬甫庵信長記』や同じく元和年間成立している『甲陽軍鑑』の影響下に描かれている点が指摘されている。成瀬家言い伝えでは江戸初期の作というが、樹木人物表情の描写から17世紀後半延宝頃と考えられる大阪城天守閣徳川美術館公式サイト解説)も「長篠合戦図屏風」を所蔵しているが、これらは成瀬家本を写したもので、自然描写から大阪城天守閣本は成瀬家本からさほど下らない時期徳川美術館本は江戸時代後期描かれたと推測される。なお、名古屋市美術館本(文化庁オンライン解説)は、合戦情報量少なく絵画様式から見て成瀬本より古い17世紀前半元和から寛永前期頃の製作とみられる作者大和絵系の絵師。元は六曲一双長篠合戦図を構成していたと考えられ、これを六曲一隻にまとめつつ内容充実させ、更に左隻に小牧長久手合戦図を加えたのが成瀬本だと推測される

※この「絵画における長篠合戦」の解説は、「長篠の戦い」の解説の一部です。
「絵画における長篠合戦」を含む「長篠の戦い」の記事については、「長篠の戦い」の概要を参照ください。

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