第3両用戦部隊司令官とは? わかりやすく解説

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第3両用戦部隊司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 05:01 UTC 版)

セオドア・S・ウィルキンソン」の記事における「第3両用戦部隊司令官」の解説

1942年8月ウィルキンソン太平洋艦隊第2戦艦部隊司令官となって海上に出る。次いで1943年1月からは南太平洋部隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将アナポリス1904年組)の下で司令官代理に任ぜられる。1943年3月には、南太平洋部隊第3艦隊呼称与えられた。第3艦隊指揮の上陸軍は「第3両用部隊」と呼ばれガダルカナル島の戦い以来ウィルキンソン情報局長時代から相対していたターナー前身部隊から継続して司令官務めていた。ソロモン諸島の戦い局面ニュージョージア島の戦い移ろうとしており、その戦い全般にわたってターナー指揮するものと思われていた。しかし、戦い途中でターナーソロモン諸島から去りその後任としてウィルキンソンが就くこととなった激闘ソロモン戦線とは打って変わって1943年中旬ごろまでの中部太平洋方面はあまり大きな戦いもなかったが、この方面を担当する第5艦隊編成されエセックス級航空母艦などの新鋭艦も第5艦隊に宛がわれ、有数大艦となっていた。第5艦隊司令長官就任したレイモンド・スプルーアンス中将アナポリス1907年組)は、上陸部隊指揮官選考悩んでいた。そこで目をつけたのが、知己であり海軍大学校英語版)の同僚だったターナーだった。スプルーアンスは無理を承知太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将アナポリス1905年組)にターナー招聘要請したところ承認されまた、合衆国艦隊司令長官兼海作戦部アーネスト・キング大将アナポリス1901年組)とハルゼー了解得られたのでターナー中部太平洋転じることとなったのである。もっとも、ターナー自身戦い行方ある程度見通せるまではニュージョージア島戦場留まるつもりだったが、陸軍の上部隊指揮官更迭問題抱えていたハルゼーは、ターナー介入して問題がさらにもつれることを避けるため、期日どおりにターナー中部太平洋送り出しウィルキンソン交代させた。 1943年7月15日付で第3両用戦部隊司令官となったウィルキンソンは、すでに策定されカートホイール作戦作戦計画着々と推し進め8月15日にはベララベラ島南端のビロア地区に約6,000名の部隊上陸させ、シービーズが飛行場建設してブーゲンビル島対す橋頭堡とした。ベララベラ島攻略功績により、ウィルキンソン2度目殊勲章受章した次なる目標ブーゲンビル島タロキナ岬であり、近在トレジャリー諸島攻略目標含まれていた。しかし、ここまで相次ぐ日本艦隊反撃などで艦艇消耗激しく上陸部隊輸送するウィルキンソン第3両用部隊の手持ち兵力駆逐艦11隻と輸送船12隻で、第3海兵師団中心とする34,000の上部隊輸送しなければならなかった。第3両用部隊を間接護衛して支援する兵力アーロン・S・メリル少将アナポリス1912年組)率いる第39任務部隊のみとなり、ハルゼー後詰として空母巡洋艦駆逐艦借用訴えて承認されたが、すべてがブーゲンビル島の戦い開始に間に合うわけではなかった。11月1日朝まだきウィルキンソン第3両用部隊エンプレス・オーガスタ湾突入し上陸部隊物資無事に陸揚げしたあと、夕方には撤退していった。これを察知した日本海軍大森仙太郎少将艦隊殴り込み掛けるが、メリルの第39任務部隊追い返されブーゲンビル島沖海戦)、後詰でやってきた栗田健男中将艦隊は、借用した空母群の空襲により追い返された(ラバウル空襲)。タロキナ岬には無事飛行場完成しブーゲンビル島内の日本軍ラバウルへの圧力となったソロモン諸島の戦いにおける飛び石戦法歴史家サミュエル・E・モリソン激賞され戦争終結後東京裁判前の取調べで、内閣総理大臣務めた東條英機陸軍大将が、潜水艦活躍およびアメリカ軍航空戦力並んで日本敗因一つとして挙げられた。ウィルキンソンは、東條が言うところの「日本敗因一つ」を担ったわけである。 ラバウル包囲網構築1944年入って続き1944年2月23日にはグリーン諸島攻略戦指揮第5艦隊に代わって第3艦隊中部太平洋方面作戦すると、ウィルキンソンターナー部隊をそっくり引継ぎペリリューの戦いアンガウルの戦いおよびウルシー環礁無血占領進めたペリリューアンガウル功績で、ウィルキンソン殊勲章代わる金星章を受章したフィリピンの戦いでは、第3両用部隊トーマス・C・キンケイド中将アナポリス1908年組)の第7艦隊貸し出されていたため、ウィルキンソン第7艦隊指揮下で行動する1944年10月1日から1945年1月18日の間、第3両用部隊改め79任務部隊率いたウィルキンソンは、レイテ島の戦い始まりリンガエン湾上陸作戦までのフィリピン方面攻略戦指揮し続けた。なお、ウィルキンソン1944年中将に昇進する。

※この「第3両用戦部隊司令官」の解説は、「セオドア・S・ウィルキンソン」の解説の一部です。
「第3両用戦部隊司令官」を含む「セオドア・S・ウィルキンソン」の記事については、「セオドア・S・ウィルキンソン」の概要を参照ください。

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