第五共和国期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:04 UTC 版)
1980年10月22日 - 第5共和国憲法草案に対する国民投票実施、翌23日に91.6%の賛成で憲法確定(→1980年大韓民国の国民投票)。 11月17日 - 言論統廃合措置の一環として、マスメディア業界の再編実施。東洋放送(TBC)と東亜放送(DBS)は韓国放送公社(KBS)に、新亜日報は京郷新聞に、ソウル経済は韓国日報にそれぞれ吸収。 11月19日 - 大韓航空015便着陸失敗事故 11月28日 - 日韓の間で初めて海底ケーブルが設置。これにより通信回線は5倍となった。 12月11日 - 反体制詩人金芝河など8名の刑執行を停止、釈放。 1981年1月15日 - 新軍部勢力が主体となって全斗煥政権与党の民主正義党(民正党)が結成される。 1月23日 - 大法院上告審で金大中被告の死刑が確定。しかし同日、全斗煥大統領は特赦を実施、金大中を死刑から無期懲役に減刑した。 1月24日 - 非常戒厳令解除 2月25日 - 大統領間接選挙で全斗煥当選(→1981年大韓民国大統領選挙) 3月25日 - 第11代総選挙、与党・民正党が安定多数議席を確保。 9月30日 - 88年オリンピック、ソウル開催決定 1982年1月1日 - 文教部、中高生の制服、髪型の自由化発表 1月5日 - 夜間通行禁止令全面解除 3月18日 - 釜山にあるアメリカ文化院に反米主義者の学生達が放火(→釜山アメリカ文化院放火事件) 5月7日 - 1400億ウォン相当の手形詐欺で張玲子逮捕(李・張事件) 12月23日 - 内乱陰謀容疑で懲役刑を受けていた金大中の刑執行が停止され、病気治療を名目に渡米。 1983年1月1日 - 公職者倫理法発表 1月11日 - 中曽根康弘首相、現職首相として初めて韓国訪問 5月18日- 金泳三、政治活動規制措置の解除を求めてハンガーストライキを開始。 6月9日 - 金泳三、ハンガーストライキを中止。 9月1日 - 大韓航空機撃墜事件 10月9日 - ラングーン事件 1984年4月2日 - 安全企画部、78年香港失踪の有名女優、映画監督の北朝鮮拉致事実公表 5月3日 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世来韓 9月6日 - 全斗煥大統領、韓国元首として初めて日本を公式訪問 11月15日 - 板門店で第1回南北経済会議 1985年1月18日 - 政治活動禁止措置解除者を主軸に、新韓民主党(新民党)が結成される。 2月8日 - 病気治療で渡米中の金大中が帰国。 2月12日 - 第12代総選挙、新民党が都市部を中心に躍進。野党第一党に浮上。 5月23日 - 大学生75名が光州事件に対する米国政府の謝罪などを要求してソウルのアメリカ文化院図書室を占拠籠城(→ソウルアメリカ文化院占拠籠城事件) 7月19日 - 釜山地下鉄初開通 9月20日 - 南北離散家族故郷訪問団などソウル、平壌を相互訪問 1986年3月13日 - 北朝鮮に拉致されていた映画監督・申相玉、女優・崔銀姫、オーストリアから米国に脱出 5月3日 - 「直選制改憲1000万署名運動」仁川・京畿道支部結成大会が新民党を批判する急進的民主化運動勢力のデモと警察の暴力的鎮圧で中止に追い込まれる(→5・3仁川事態)。 8月2日 - 新・国立中央博物館、旧総督府を改造して開館 9月20日 - 第10回アジア競技大会ソウル開催、中国代表団参加 1987年1月14日 - ソウル大学校言語学科の学生である朴鍾哲が警察での取調中に拷問で死亡する。 4月13日 - 全斗煥大統領、年内の改憲論議中止と現行憲法による大統領選挙(間選制)実施を表明する(4・13護憲措置) 5月1日 - 金泳三を総裁とする統一民主党(民主党)結成。 6月9日 - 延世大学経営学科2年の李韓烈、デモ中に戦警が発射した催涙弾の直撃を受け重体となる(7月5日に死亡)。 6月10日 - 学生拷問致死事件の糾弾と改憲を求める反政府デモ広がる。→6月民主抗争
※この「第五共和国期」の解説は、「韓国の歴史年表」の解説の一部です。
「第五共和国期」を含む「韓国の歴史年表」の記事については、「韓国の歴史年表」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から第五共和国期を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から第五共和国期を検索
- 第五共和国期のページへのリンク