大韓航空015便着陸失敗事故
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事故機と同型機の大韓航空機(当時の塗装)
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出来事の概要 | |
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日付 | 1980年11月19日 |
概要 | 濃霧の中の着陸失敗 |
現場 | ![]() |
乗客数 | 212 |
乗員数 | 14 |
負傷者数 | 4 |
死者数 | 15 |
生存者数 | 211 |
機種 | ボーイング747-200B |
運用者 | ![]() |
機体記号 | HL7445 |
出発地 | ![]() |
経由地 | ![]() |
目的地 | ![]() |
大韓航空015便着陸失敗事故 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 대한항공 015편 착륙 사고 |
漢字: | 大韓航空 015便 着陸 事故 |
大韓航空015便着陸失敗事故は、1980年11月19日に大韓民国・ソウル特別市の金浦国際空港で発生した航空事故である。事故原因は濃霧による視界不良のために、パイロットが目測を誤って滑走路の手前に着地してしまい、アンダーシュートになったことにあったとされている。
事故の経緯
1980年11月19日、大韓航空015便はボーイング747-200B旅客機(機体記号:HL7445、1979年製造)で運航されており、ロサンゼルス発アンカレッジ経由のソウル便であった。フライトプラン上の定刻は午前7時20分(現地時間、日本時間も同じ)であったが、当時のソウルの金浦空港は濃い朝霧に覆われており、視界も800mから1000mしかなかった。
このような状態の中で着陸進入したが、運航乗務員が高度を早く下げすぎたために、滑走路手前90mの堤防に降着装置が衝突。降着装置が機体後部の貨物室を直撃し、機体は反動で滑走路に叩きつけられた。015便は胴体着陸したかのような状態で2kmにわたり滑走路を移動し停止した。機体は停止後に出火したが、燃料が少なく、脱出する時間的余裕があったため多くの乗員乗客が緊急脱出に成功した。しかしその後機体は完全に焼失し、韓国初のボーイング747の全損事故となった。
この事故で乗員乗客226名のうち15名(乗員6名、乗客9名)が死亡した。乗客のうち日本人は82名で、そのうちの77名は関西の旅行会社が企画したアメリカ西海岸ツアーの団体客であり、うち女性1名が犠牲になった。
参考文献
- 朝日新聞1980年11月19日夕刊
関連項目
- 航空事故
- カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故(この事故と同じ原因の事故)
大韓航空015便着陸失敗事故
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「大韓航空の航空事故およびインシデント」の記事における「大韓航空015便着陸失敗事故」の解説
1980年11月19日、大韓航空015便ボーイング747-2B5B (HL7445) が、霧で視界不良の金浦空港への着陸進入中、滑走路手前の堤防に接触、機体が滑走路に叩きつけられた。乗員乗客226名のうち15名が死亡した。目測を誤って滑走路手前に墜落したパイロットエラーとされた。 詳細は「大韓航空015便着陸失敗事故」を参照
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固有名詞の分類
パイロットエラーによる航空事故 |
チュニインター1153便不時着水事故 バージェン航空301便墜落事故 大韓航空015便着陸失敗事故 中国国際航空129便墜落事故 ギャラクシー航空203便墜落事故 |
大韓民国の事件 |
シン・チャンウォン事件 広州大団地事件 大韓航空015便着陸失敗事故 張勉副大統領暗殺未遂事件 中国民航機韓国着陸事件 |
ボーイング747による航空事故 |
エル・アル航空1862便墜落事故 日本航空機駿河湾上空ニアミス事故 大韓航空015便着陸失敗事故 ルフトハンザドイツ航空540便墜落事故 テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 |
大韓民国で発生した航空事故 |
大韓航空015便着陸失敗事故 中国国際航空129便墜落事故 アシアナ航空733便墜落事故 |
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