第三次ソロモン海海戦
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「綾波 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「第三次ソロモン海海戦」の解説
「綾波」の名を高めたのがこの海戦である。 1942年11月14日から翌日にかけて行われた第三次ソロモン海戦の第二夜戦で「浦波」、「敷波」とともに第2艦隊第3水雷戦隊に所属していた「綾波」はガダルカナル島(図の下側の陸地)飛行場砲撃に向かうため、近藤信竹中将の麾下、戦艦「霧島」と「高雄」「愛宕」の重巡2隻の射撃隊(図でE)、軽巡「長良」以下駆逐艦6隻の直衛隊(図でD)、そしてこの2隊の前路警戒にあたるための掃討隊として、軽巡「川内」以下「綾波」、「敷波」、「浦波」の計4隻でサボ島(図の左上の小島)付近を航行していた。間もなく掃討隊はサボ島近海の哨戒にあたるべく、「川内」「綾波」がサボ島の西側へ、「敷波」「浦波」がサボ島東側へと2つに分離した。 ところがここでサボ島東側を航行していた「浦波」が単縦陣でサボ島南水道を西に向かって航行する敵艦隊らしきものを発見。「川内」に報告すると共に追尾を始めた。これが戦艦「サウスダコタ」(USS South Dakota, BB-57)、戦艦「ワシントン」(USS Washington, BB-56)を含む米主力艦隊(図でA)であった。「綾波」と航行していた「川内」は「浦波」隊支援のため分離、サボ島北側を通って「浦波」隊に合同すべく急速に「綾波」から離れていった。 こうして「綾波」のみで当初の予定通りサボ島西側を哨戒航行することとなり、予定では「綾波」(図でB)は単艦でサボ島南側を回って掃討隊主隊(図でC)と合同するはずであった。 そしてこの分離が「綾波」の運命を決めることとなる。 21:16、サボ島南水道に進入した「綾波」の見張員が艦首方向右寄り距離8000に単縦陣で航行する米艦隊を発見。この時点で既に米艦隊と交戦していた掃討隊主隊の「川内」から日本艦隊全艦へ通報した"敵艦隊発見"の報告が綾波には届いていなかった(サボ島に電波が遮られたものといわれている)。即座に艦長作間英邇中佐が「右砲戦、右魚雷戦」を命じ、主隊に「敵は駆逐艦4隻、重巡1隻」(戦艦ワシントンの誤認である)と通報した上で30ktに増速して突撃を開始した。この時「綾波」にとって不運だったのがサボ島東側に展開していた掃討隊主隊の「川内」以下3隻が形勢不利とみて一時後退を始めた直後だったことである。従って「綾波」は戦艦2隻駆逐艦4隻の米艦隊に対し単艦で突入する格好になってしまったのである。 突撃してきた「綾波」に気づいた米艦隊が砲撃を始めた直後、21:20、距離5000になったとき艦長は砲撃開始を下令。初弾が敵3番艦「プレストン」(USS Preston, DD-379)を捉えさらに敵一番艦「ウォーク」(USS Walke, DD-416)にも命中。火災を発生させた。また、21:33には戦艦「サウスダコタ」(USS South Dakota, BB-57)に命中弾を与え、同艦は損傷と人的ミスによる電気系の故障により、副砲群とレーダーの大半が一時的に沈黙する。綾波はサボ島を背景にしていたため米海軍のレーダーは島と艦を同時に捉えて照準ができず、肉眼で見ても艦影が島に黒く滲んで視認は困難だった。 しかし「綾波」は21:22、敵艦隊からの集中砲撃に晒され第1煙突に命中した一弾によって魚雷発射前に1番連管が故障、3本の魚雷が装填された発射管は艦軸線を向いたまま旋回、発射不能となり、同時に左舷に積んでいた艦載内火艇のガソリンタンクから発生した火災によって魚雷が炙られる状態となった。2130、艦長は攻撃可能な2番、3番連管による攻撃を下令。発射した魚雷は21:33、米駆逐隊に次々と命中し、「ウォーク」の艦首部に命中した一本は前部主砲弾薬庫を誘爆させ、同艦は21:43に沈没。さらに2番艦「ベンハム」(USS Benham, DD-397)艦首部にも命中し、同艦は艦首が潰れて航行不能となり艦隊から落伍した。「ベンハム」は翌15日、応急修理に成功して5ktで「グウイン」と共にエスピリッツサントに向かうものの、13:37時に再び破口が開き、沈没した。 こうして戦果は挙げたものの、米駆逐艦の砲撃と戦艦「ワシントン」の副砲射撃による反撃で「綾波」は次々と命中弾を受け2番砲塔は被弾し沈黙、さらに機関室に2発被弾して航行、操舵共に不能となってしまった。ここで別働隊である直衛隊の軽巡「長良」以下駆逐艦「五月雨」「電」「白雪」「初雪」の計5隻(「朝雲」「照月」は射撃隊の直衛で分離)が戦場に到着する。ここでも激しい戦闘が繰り広げられたが米艦隊の3番艦の「プレストン」は「綾波」の砲撃による火災が酷く、日本艦隊の格好の目標となり航行不能となって間もなく沈没してしまった。さらに直衛隊は4番艦「グウイン」(USS Gwin, DD-433)の機関部にも損傷を与え、艦隊から落伍させる。 この後さらに「霧島」と「サウスダコタ」、「ワシントン」による戦艦同士による砲撃戦が行われることになるがここでは割愛する。 被害甚大となって漂流を始めた「綾波」ではあったが、喫水線下への被弾はなかったため浸水はしなかった。しかし上甲板の火災は既に消火不能となっており、魚雷の誘爆は時間の問題と見た艦長は総員退艦を下令。生存者は全員海へ飛び込み救助に駆けつけた浦波に収容された。「浦波」に生存者全員が救助された後、23:46に遂に魚雷が誘爆。翌15日の00:06、2度目の大爆発をおこした後綾波は沈んでいったという。戦闘での戦死者は27名。浦波に収容された後に死亡した者も含めて戦死者は42名であった。艦長の作間英邇中佐以下、生存者の一部はガダルカナル島へ渡った。その後、作間中佐は輸送任務のためにカミンボにやってきた伊17に便乗し、トラック経由で横須賀へ移動した。 沈没後に漂流していた兵士たちの士気は、大戦果を上げた(その当時は「綾波」と刺し違えに敵艦3隻を撃沈し、そのうち1隻は重巡洋艦だったと戦果を誤認していた)ため非常に高揚しており、沈没前に爆雷へ安全装置をつけて海に沈め、浮遊物を散々投げ込んだ後、海に飛び込んでいたため溺死、圧死の心配もなかった。そのため自艦が沈没したにもかかわらず漂流中に軍歌を合唱している兵士たちもいたほどだったという。 駆逐艦「綾波」は第三次ソロモン海戦で沈没した重巡「衣笠」、駆逐艦「暁」、「夕立」と共に12月15日附で除籍。帝国駆逐艦籍、第19駆逐隊、白雪型駆逐艦のそれぞれから削除された。
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