第三次ソールズベリー内閣第一大蔵卿・庶民院院内総務
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「アーサー・バルフォア」の記事における「第三次ソールズベリー内閣第一大蔵卿・庶民院院内総務」の解説
1891年、死去したウィリアム・ヘンリー・スミスの後任として第一大蔵卿および庶民院院内総務に抜擢された(これは第一大蔵卿が首相と異なる最後の例であった)。バルフォアはアイルランド民族運動を激しく弾圧したことで保守党庶民院議員たちから人気を集めており、その声にソールズベリー侯爵が応えた人事だった。 翌1892年に保守党が下野したが、この後の3年間の野党時代にもバルフォアは保守党庶民院院内総務(英語版)に在職し続けた。1895年に保守党が自由統一党と連立して政権を奪回し、第三次ソールズベリー侯爵内閣(英語版)を発足させると再び第一大蔵卿・庶民院院内総務に就任した。首相ソールズベリー侯は自邸暮らしをするようになり、ダウニング街10番地にはバルフォアが入った。 さらに1898年にソールズベリー侯が病となると、甥であるバルフォアがその代理を務めることが増えていった。
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