第三次ハリコフ攻防戦~クルスク戦
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「第3SS装甲師団」の記事における「第三次ハリコフ攻防戦~クルスク戦」の解説
フランスでの再編成で装甲擲弾兵師団となり、1943年2月の第三次ハリコフ攻防戦で増援として投入され、第1SS装甲師団、第2SS装甲師団とともにハリコフを奪還した。なお、この戦闘期間中、師団長テオドール・アイケが航空機で連絡のとれなかった麾下部隊の捜索中に乗機を撃墜されて戦死している。師団は遺体回収のため敵の戦線を突破し、アイケは完全な軍葬の礼で埋葬された。第三次ハリコフ攻防戦の結果形成されたクルスク突出部をめぐるクルスクの戦いでは南方軍集団のホトの第4装甲軍の一員として第1SS、第2SSと伴に戦闘に参加、プロホロフカ周辺でプショル川渡河を行うなど激戦を繰り広げた。
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