真実和解委員会: 1996-1998
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「デズモンド・ムピロ・ツツ」の記事における「真実和解委員会: 1996-1998」の解説
1994年にアフリカ民族会議が政権を取って以降のアパルトヘイト後の南アフリカ(英語版)に対して虹の国(英語版)というメタファーを作り出したのはツツだと一般に信じられている。この表現はこれ以来、南アフリカの民族多様性を表す言葉としてメインストリームの意識の中に加わった。彼はこのメタファーを、多人種の抗議者たちを指す「神の虹の民(rainbow people of God)」という表現の中で1989年に初めて使用した。ツツは解放派神学者(liberation theologians)が「批判的連帯」(critical solidarity)と呼ぶ立場を唱道した。すなわち、民主化勢力諸派に支援を行うと同時に、彼らへの批判をためらわなかった。彼は、派手な色(brightly coloured)のマディバ・シャツ(英語版)(ツツはこれを不適切な服装と見做した)の着用のようないくつかの点でマンデラを批判し、マンデラは冗談半分に、ドレスを着る男からそんなことを言われるとは皮肉なことだと返した。より深刻なツツの批判は、マンデラが南アフリカのアパルトヘイト時代の軍事産業との関係を維持していたことと、新たに選出された国会議員への多額の報酬についてのものであった。マンデラはツツを「ポピュリスト」と呼んでやり返し、ツツはこうした批判を公然とするのではなく個人的に提起すべきだと主張した。 アパルトヘイト後の政権が直面した重大な難問は、過去数十年にわたって国家と反アパルトヘイト活動家の双方によってなされた多数の人権侵害にどのように対応するかというものであった。国民党は全般的な恩赦を望んだが、ANCは以前の政府要人の審理を望んだ。アレックス・ボレインはマンデラ政府が真実和解委員会(英語版)(TRC)の設立についての法律を作成するのを助けた。この法案は1995年7月に議会を通過した。ナトールはツツが真実和解委員会の17人の委員の1人となる案を提示し、9月の主教会議で公式にかれをノミネートした。ツツは真実和解委員会が3つのアプローチを採用することを提案した。第一は告白であり、過去の人権侵害に責任を負う者はその行動を全て明らかにすること。第二は赦しであり、訴追されることから法的に恩赦されるという形をとる。第三は賠償であり、加害者が被害者に償うというものであった。 マンデラは真実和解委員会の委員長にツツを、ボレーヌを副委員長(his deputy)に任命した。真実和解委員会は重要な事業であり、300人以上のスタッフを雇用し、3つの小委員会(committees)に分かれ、同時に4つまでの聴聞会を開催した。真実和解委員会の中で、ツツは「修復的司法(restorative justice)」を提唱した。彼はこれを伝統的なアフリカの法学の特性である「ウブントゥ(ubuntu)の精神の中で」捉えていた。委員会の長として、ツツは、反アパルトヘイト活動家であった委員とアパルトヘイト制度を支持していた人々の間の多数の疑惑とともに、数々の個人間の問題に対処せねばならなかった。ツツは「我々はオペラの主演女優の集団(bunch of prima donnas)のように自意識過剰で、多くの場合過敏であり、侮辱を受けると、それが実際の侮辱であれ、ただそう受け取っただけであれ、簡単に立腹した」ことを認めた。ツツは祈りと共に会議を開き、真実和解委員会の業務について議論する際にはしばしばキリストの教えに言及したため、明確に世俗的な組織の中にあまりにも多くの宗教的要素を入れることに批判的な人々を苛立たせた。 最初の聴聞会は1996年4月に開かれた。この聴聞会は公に放送され、南アフリカの社会に重大な衝撃をもたらした。ツツは恩赦を与える小委員会をほとんど制御しておらず、代わりに反アパルトヘイト派とアパルトヘイト体制の要人によって犯された人権侵害の記録の聞き取りを行う小委員会で議長を務めた。被害者の証言を聞きながら、ツツは時折感情に圧倒され、聴聞会の間に泣いた。彼は加害者を赦すことを表明した被害者を選び出し、彼らを中心テーマとして用いたとして使用した。ANCのイメージはその活動家の一部が拷問、民間人への攻撃、その他の人権侵害を行っていたことが暴露されたことで汚された。ツツは1998年10月にプレトリアで行われた公式式典で、5巻からなる真実和解委員会の報告書をマンデラに提出した。最終的に、ツツは真実和解委員会の成果に満足し、(その欠点は認識していたが)これが長期的な和解の一助となると考えていた。
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