白軍司令官とは? わかりやすく解説

白軍司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/14 14:30 UTC 版)

ミハイル・パーヴロヴィチ・サーブリン」の記事における「白軍司令官」の解説

1918年末には、南ウクライナ連合国の進駐軍によって掌握され黒海艦隊艦艇また、連合国軍によって拿捕された。1919年初頭には、黒海船舶港湾総指揮官に就任した1919年3月25日で、無能理由更迭されたヴァシーリー・カーニン(ロシア語版海軍大将かわって南ロシア海軍司令官に就任した。しかし、カーニンがフランス海軍下請けでしかなかったために南ロシア軍は独自の行動を取ることができない状態になっており、4月2日にはフランス側都合赤軍との取引によって南ロシア軍セヴァストーポリからノヴォロシースク撤退させられることとなった。サーブリンがセヴァストーポリから連れ出せたのは、巡洋艦カグール」や潜水艦「チュレーニ(英語版)」など一部艦船だけであった。彼はこの巡洋艦ノヴォロシースク向かいながら沿岸巡視しロシア船舶助けを必要としていない監視しつつ数日掛けて目的地移動した4月には、フランス海軍セヴァストーポリから撤退するのに関連し、その管理にあったセヴァストーポリ黒海艦隊艦船のほとんどはセヴァストーポリ接近した第2ウクライナ赤軍代表との取引により爆破処分された。一方フランス提督管理にあったセヴァストーポリ軍港管理権南ロシア軍返還され4月19日にサーブリンはセヴァストーポリ軍港長官黒海港湾長官就任した。そして、この任を1920年2月1日まで務めた1919年5月時点で、義勇軍行動艦隊保有する活動できる軍艦巡洋艦カグール」、艦隊水雷艇「ジヴォーイ」、河川砲艦「K-15」、潜水艦「チュレーニ」、通報船「ブーク」、第7号通報船、「グラーフ・イグナーチエフ」、2 隻の武装曳船「ポレーズヌイ」と「ニコライ・パーシチ」しかなかった。加えて蒸気船「ツェサレーヴィチ・ゲオルギー」に3 門の砲を搭載し補助巡洋艦ゲオルギー」とした。サーブリンは、艦隊勢力増強目指し各地放棄してある艦船調査し非武装船に武装を施すなどして次第白色艦隊の力は増加していった。 1919年6月には、サーブリンはノヴォロシースクデニーキン将軍司令部の下に置かれ海軍局にあった連合国イスタンブール黒海艦隊の主要艦船持ち去っていたが、戦列艦ヴォーリャ」や新し艦隊水雷艇はじめとするそれら艦船デニーキン将軍司令部引き渡すことに合意した6月17日には、南ロシアでの水兵叛乱の勃発によってフランス戦闘への干渉をやめた。しかし、それでも白軍赤軍圧倒し6月24日には赤軍司令部セヴァストーポリ撤退し黒海艦隊艦船義勇軍接収された。7月6日には南ロシア海軍黒海アゾフ海港湾・船舶総指揮官サーブリン提督彼の司令部とともに巡洋艦カグール」に乗ってセヴァストーポリ帰還した1年ぶりに司令部艦「ゲオルギー・ポベドノーセツ」に戻ったサーブリンはそこに艦隊司令官旗を掲げセヴァストーポリはこの日から再び艦隊主要基地となった自分艦隊手に入れたサーブリンは、陸上部隊への支援作戦中心とした軍事作戦積極的に立案遂行した1919年夏にクリミア半島奪還した際のアク=マナーイ陣地防衛戦偵察上陸作戦への支援戦列艦「ゲネラール・アレクセーエフ」を主力とする白色艦隊赤軍オチャーキウウクライナ語版)砲台との砲撃戦ドニエプルブーフ潟の突破作戦、ヘールソンとムィコラーイウ占領際する歩兵部隊との協同作戦オデッサの上作戦といった、白軍実施した多く軍事作戦において、サーブリンはその比類なき能力発揮した白色黒海艦隊設備資金燃料の不足から壊滅的な状況にあり、規模もかつてのそれとは比較ならないほど縮小されていて、あたかも日本海海戦クリミア戦争後ロシア艦隊のような状況に陥っていたにも拘らず、サーブリン指揮下の艦隊見事に陸上部隊支援し、敵部隊撃退したのである。 ところが、1919年8月20日にはサーブリンは艦隊司令官解任され、ドミトリー・ネニューコフ(ロシア語版海軍中将交替した。これは、シベリアからパリ経由送られ命令よるもので、最高統治者コルチャークがサーブリンの解任求めたためであった。サーブリンも、また総司令官デニーキンもこれは陰謀であると感じていたが、結局サーブリンは更迭された。サーブリンは、かわりに港湾総指揮官に任官した1920年2月8日にはネニューコフ艦隊司令官方針違い越権理由デニーキン総司令官によって更迭され、サーブリンが三度目艦隊司令官の座に就いた。しかし、サーブリンが病のため、実質的にはネニューコフが任務続けた。この時期クリミアはヤーコフ・スラシチョフ(ロシア語版将軍活躍により何とか持ち堪えている状況であったが、サーブリン司令官彼の部隊協力して作戦遂行していたものの、結局その率直な性格災いして諍い生じ司令官職を解任された。2月17日付けで、艦隊司令官はアレクサンドル・ゲラシーモフ(ロシア語版海軍中将交替した。 しかし、3月22日総司令官ピョートル・ヴラーンゲリ将軍交替すると、ゲラーシモフ艦隊司令官は「人間素晴らしいが、柔和決断力欠ける」ことを理由更迭されることになった4月19日には、サーブリンは艦隊司令官南ロシア政府事実上海軍大臣であるロシア軍海軍局長に任命された。4月28日からはネニューコフが彼の代わり務めたその後艦隊司令官の任はふたりのあいだでしばしば交替された。それでも、サーブリンはヴラーンゲリ総司令官期待応え一連の新し軍事作戦支援し、その持ち前毅然たる有能な提督ぶりを発揮した彼の評価高く、その病が刻一刻彼の体を蝕んでいったにも拘らず最後まで作戦遂行にかける意欲衰えなかった。 1920年9月には肝癌悪化し10月12日艦隊司令官臨時にミハイル・ケドーロフ(ロシア語版海軍中将交代した結局、サーブリンの病は癒されることはなく、1920年10月17日ケルチにて没したセヴァストーポリ葬られた。 黒海艦隊司令官同日付け正式にケドーロフ海軍中将交代した。彼はロシア艦隊率いて永久に祖国をあとにしたが、それはサーブリンが生前船団亡命のために必要な石炭燃料確保しておいてくれたためにできたことであった

※この「白軍司令官」の解説は、「ミハイル・パーヴロヴィチ・サーブリン」の解説の一部です。
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