白軍時代とは? わかりやすく解説

白軍時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/06 13:53 UTC 版)

ヴラジーミル・ピールキン」の記事における「白軍時代」の解説

ロシア内戦では、N・N・ユデーニチ歩兵大将北西ロシア政府海軍大臣務めた1919年1月4日には、N・N・コロメーイツェフ海軍中将の家にて、元第1艦隊水雷艇隊長男爵P・V・ヴィーリケン海軍大佐と、元の戦列艦ペトロパヴロフスク」の砲術士であったA・N・ルシュコーフ海軍中佐出会った。彼らは、のちにピールキンの最も信頼する部下となった1920年1月22日付けのユデーニチ将軍指令により、北西軍の全兵士ならびに将校武装解除され、軍務から解放された。ピールキンは「解散委員会」の一員任命された。その過程で、A・VコルチャークA・Iデニーキン将軍ら、ほかの白軍組織への支援の意味もあり、それらへ移ることを希望する者についてはその移動援助した4月1日までにすべての業務終えレーヴェリからゲリシンクフォールスへ移動した4月13日には、家族とともにコペンハーゲン渡った。そこで彼は、通報船「キトボーイ」船長O・O・フェールスマン海軍大尉会った。彼は「武器自衛する」と宣言すれば、イギリス人敢えて艦を拿捕しいだろう、とピールキンへ明かした。この件には、クリミアから祖国デンマーク逃れてきた皇后マリーヤ・フョードロヴナの手紙が関係していると見られた。彼女の姉妹は、イギリス女王であったのである。フェールスマンの「キトボーイ」はアンドレイ旗を掲げてヨーロッパ周りセヴァストーポリにあるP・Nヴラーンゲリ将軍ロシア軍との合流成功した。しかし、ピールキンは彼に同行しなかった。 4月18日にはルシュコーフ海軍中佐とともにイギリスへ渡り、翌19日ロンドンへ入った。そこではA・A・アバザー海軍中佐面会し、彼が設立したコルチャーク政府偵察機関「O.K.」に北西軍司令部のピールキン提督参加したコルチャーク自身敗北悟ったとき、彼はアバザーに30000 ポンド資金を渡すことを決めたが、結局10000 ポンドしか引き渡されなかった。ピールキンはアバザーの仕事引き継ぎ8月までに沿バルト地方にて月300 ポンドを反ボリシェヴィキ活動供給した1920年4月24日夕刻には、フランス・パリ移動した。翌25日日曜日には、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂にてユデーニチ夫妻面会した。ユデーニチは再会をとても喜んだが、ピールキンはユデーニチが彼らしくもなくすっかり柔和になってしまっていたことに心を痛めた日記記している。 ピールキンはパリにても「O.K.」の活動続けており、同じくロンドンからパリへ移動してきたアバザーと定期的に会合持っていた。しかし、1920年4月29日にユデーニチ将軍のもとで行われた会合にて「『O.K.』の仕事はもはや誰にも必要ない」と決議した彼の友人元総司令官反対唱えた。ピールキンは「O.K.」の存続訴えとともに、「ロシアにてあとはただ指示を待つばかりの組織とともに蜂起起こそうではないか?」と説いた。恐らく、ピールキンはV・N・タガーンツェフ大佐ペトログラード軍事組織と関係を持っていたと見られている。 ユデーニチ将軍はピールキン提督折れて、アバザーの組織への臨時的資金援助合意した。その組織支援により、ロシア国内はいくつかの蜂起が行われ、ボリシェヴィキ恐ろしいパニック陥ったとされている。その後も、ピールキンはユデーニチを助けて白色活動支援続けた1920年末にはユデーニチ将軍ニース移動し、ピールキン提督スウェーデンフランス銀行にある資金権限委任した1921年3月には、ピールキンヴィーリケン海軍大佐とともに叛乱下のクロンシュタット滞在した

※この「白軍時代」の解説は、「ヴラジーミル・ピールキン」の解説の一部です。
「白軍時代」を含む「ヴラジーミル・ピールキン」の記事については、「ヴラジーミル・ピールキン」の概要を参照ください。

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