新たな国家の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:03 UTC 版)
「ピョートル・ヴラーンゲリ」の記事における「新たな国家の建設」の解説
ヴラーンゲリは、軍の指導方針を巡ってデニーキンと対立を起こした。ヴラーンゲリは司令官の地位を辞し、軍の一部を率いてデニーキンの義勇軍を離れた。 1920年3月26日から27日にかけて、デニーキンはノヴォロシーイスクからクリミアへ残存兵力を退却させた。4月2日には、デニーキン将軍は亡命を決意し全権をヴラーンゲリに委譲した。4月4日にはセヴァストーポリにて南ロシア軍総司令官に選出された。一方、デニーキンは南ロシア軍の勢力の大半を率いて国外へ亡命した。 5月11日、ヴラーンゲリは軍をロシア軍という名称に改めた。ヴラーンゲリはこの地で新たな独立共和国の建設を試みた。 それまで、白軍は勢力圏となった南部ロシアやウクライナの人口の大半を占めていた農民の支持を得ることに失敗していた。帝政時代に農奴として虐げられてきた農民らは、白軍の勝利によって再び以前の態勢が戻ることを恐れていたのである。実際、白軍司令官のほとんどは帝政派であり、ロシア帝国の復活を目論んでいた。これに対し、ヴラーンゲリは、モデルとした国家のように土地を農民へ分配する土地改革など従来の帝政派と異なる方針を打ち出した。これにより、農民らの支持を得て勢力の回復がされることを期待した。農民の望む土地の個人所有はソビエトが全面否定しており、またソビエトは農民を敵視していたこともあり、ヴラーンゲリのロシアにとって農民への懐柔は有益であると考えられた。 また、フランスからはデ・ファクトの承認を取り付け、軍の建て直しと政府機構の拡充を図り国家地域の経済的な発展にも取り組み、ボリシェヴィキを打倒しようと試みた。軍備には、イギリス製やフランス製の第一級のものが導入された。加えて、南ロシア軍時代よりセヴァストポリ港にあった艦艇の多くを白軍に接収していた。これらの艦艇は、十月革命後ウクライナ国艦隊のちに赤軍艦隊となっていた旧ロシア帝国海軍黒海艦隊の所属艦で、戦艦以下若干の新鋭艦と多くの旧式艦を含んでいた。
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